名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.353 〜「できない」のでなく、「やらない」だけ〜

2017.03.06  【350日連続投稿】

 

昨日のらくだプリントは、日をまたいでやりました。

 

《らくだプリントとは?》

↓↓↓↓↓

らくだメソッドの理念|どの子にも学力がつく らくだメソッド

 

土日は実家に帰省していたのですが、らくだプリントは持って帰っていました。朝早く起きればできるだろうなと思っていましたが、見事に起きれず、やりませんでした。

 

結局、名古屋に帰って来て夜にやるかと思っていたら、住んでいるシェアハウスにお客さんが3人来ていて、らくだプリントをやるなんて後回しで楽しい時間を過ごし、気づけば日付が変わっていました。

 

ようやく落ち着いたあとに、らくだプリントをやって就寝しました。

 

無意識に近くとも、今やらないのならいつやるの?と自分に問いかけてるんだなと感じました。

 

毎日やると決めているということは、今やらないならその代わりにいつやるのか自分の中で考えていることだろうと思います。もしも、やらない選択を取った時の代わりの案まで提案できるところまでいくだろうと思います。

 

やるかやらないかではなく、

やる前提でどうやったらできるか

やらない時はどうするか

という次元の話なんだろうと思います。

 

だから、この次元の話では「できなかった」というのは存在せず、ただただ「やらなかっただけ」「やろうとしなかっただけ」なのだと思います。

 

「やらなかった自分」がダメなのではなく、そんな自分を自覚し続けて、変容していく過程を見ていくことを楽しめたらいいと思いました。

 

そういえば、らくだプリントを始めて6ヶ月が過ぎていました。

 

また、振り返りを書こうと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.352 〜祖父と祖母の法事を終えて〜

2017.03.05  【349日連続投稿】

 

本日、無事に祖父と祖母の法事が終わり、名古屋に帰っている新幹線の中で書いています。

 

法事というと、正座をしてお経を呼んで足が痺れて、なんだか「面倒だ」という印象を大学生の頃まで思っていました。しかし、今は家族や親戚に会えることが楽しみなこともあり、いい機会だなと捉えている気がします。

 

今回は、ちょっと特別で事前に父親から「5分程度で近況報告できるように、パワポとかで資料をつくって下さい」とお達しがありました。

 

そして今日は、自宅とお墓での法要を終えて食事をしに行き、大型ディスプレイを使って、祖父と祖母の写真のスライドショーを見たり、それぞれの近況報告を動画や写真も交えながら、食事をして時間を過ごしました。

 

笑いありの温かく穏やかな雰囲気でみんな楽しそうだったと私から見て思いました。

SNSとかで近況を知ることができる世の中でありますが、実際に会うに越したことはないと思います。

 

最近は、地元に帰るたびに「いつかは地元に変えられるように力をつけようかな」と思います。

地元を離れて5年経ちますが、やはり生まれ育った町は自然と特別な感情があるのかもしれません。

 

祖父と祖母の話をすると、祖父は私が生まれる約5ヶ月前に他界されたらしく、私は祖父の生まれ変わりだと言われていたそうです。

祖母とは、約18年一緒に住んでいたこともあり、思い出が結構あります。今回の帰省で思い出したことは、私がサッカーを初める時に寒い中一緒に付いてきてくれて監督に話してくれたことがハッと蘇ってきました。約14年やったサッカーですが、初める時は祖母に背中を押してもらったことを忘れてたんですね。それを思い出して何か変わるわけではないのですが、思い出すことに私の中で価値があると感じました。

 

また明日から愛知で目の前ことをやり続ける日々を過ごしたいと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.351 〜書いたことは生きたということ〜

2017.03.04  【348日連続投稿】

 

この土日は、法事のため実家に帰ります。

 

新幹線の中で私が書いた過去のブログ記事を読んでいると、その時に書いた気持ちが蘇ってきました。

 

まだ1年前の記事ということもあり、忘れていて「あの時こんなことを思っていたんだ」と感じるよりも、「そうそうこれ書いてたな」という気持ちです。

 

書いてあることから、書いていないことまで思い出せるのは自分が書いたからなんだと思います。

 

書いたことは、その時自分が生きたということを記録することなんだと、ふと思いました。

 

その時の気持ちや心が残っているって、私はとても貴重なものだと思います。

 

上手な文章でなくとも、拙い表現であったとしても、とても貴重なものだと思うのです。

 

誰かに伝えたいよりも、書き残しておきたいという気持ちがあるから、毎日書いているのかもしれません。

 

 

久しぶりに親戚や甥っ子に会えるのが楽しみです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.350 〜心は亡くならないんじゃないのか?〜

2017.03.03  【347日連続投稿】

 

1週間はあっという間に終わる。

 

長いように思っていた時はあるが振り返ると、あっという間に過ぎていることに気付く。

 

忙しいとかゆとりがあるとかでなく、その時自分が存在していたことが何よりもかけがいのないことなのではないかと思います。

 

忙しくても心が亡くなることはなく、ゆとりがあろうがなかろうが心はあるのだと思います。

 

どんな自分でも生きていることを自分で受け入れて、生きていることが大切なんじゃないかと思います。

 

私は、心を亡くすという言葉を聞いて、心が亡くなるってのは、ないんじゃないかと思います。

 

もし、肉体がなくなっていても、その人の心は誰かの中で生きてるんじゃないかと最近ますます思うようになってきました。

 

それなら生きている人はなおさら、心がないことなんてないと思います。

 

心ってなんだ?ということが分からなきゃ、私自身も私が言いたいこと、表現したいことが何なのか分からないです。

 

もし、心ってものが自分なりにしっかりと腹に落ちた時、それは自分が言葉にならない言葉を自分の中で言葉に変わる革命が起こるんじゃないかと思っています。

 

おわり。

本日のつれづれ no.349 〜立場や役割があるから、個人は輝く?〜

2017.03.02  【346日連続投稿】

 

 立場や役割がなく生きている人はいないと思っています。

 

誰もが気づかなくても、親だからとか、会社では上司だからとか、立場が役割があるから、つくられるその人があると思います。

 

今日の仕事中に、管理職の方がどうしてもその状況では叱っておかないといけない状況で叱ったのだろうと思える場面に遭遇した時に、ハッしました。

 

叱られた方は結構心穏やかでなかったのですが、周りの方に「あれはしょうがない」と言われると「まぁそうかもしれないけど、下っ端は辛いねぇ」と言われていました。

 

私から見たときは、必然的に叱かり叱られる関係が生まれる状況だったのだと思ったので、立場で人は結構行動しているよなと思います。

 

立場上しょうがないことって、あるんだなぁと私は勝手に思っていますが、話を掘っていくと人は関係性によってその人がどうするのか決まるのではないかと思っているので、やっぱり立場や役割はその人の一部になっているのだと思います。

 

集団の中で生きている以上、自分がそうしなければならないことは確かにあって、変えることのできないことはあるのだと思います。

変えられない状況を受け入れた時に初めて、自分の裁量といいますか、個人が発揮される時なのだろうと思います。

 

立場や役割があるからこそ、個人は輝くのではないかと仮説じみたことを思っています。

 

ちょうど今読んでいる本の内容とリンクしたので、書き残しておこうと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.348 〜やる気に左右されないようにしたい〜

2017.03.01  【345日連続投稿】

 

朝に弱い私ですが、今日は目覚めが冴えていて、朝から絶好調という気持ちでした。

 

やる気が溢れてきて、自然と乗ってくる感じでした。

 

しかし、お昼を食べた後からどんどん調子が悪くなっていってしましました。

 

「熱があるかもしれない」と思って家に帰って、検温してみると、なんと平熱。

 

こりゃどうなってるんだ?と思い返すと、やはり朝から張り切りすぎたのが、よくなかったのかと思います。

 

やる気が溢れるから、気持ちが先走るように活力があるから、といって頑張っても後がしんどいんだよなって改めて思いました。

 

年度末に入ってきて忙しくなると思いますが、「頑張らない」ことを意識してやることをスッとやるようにしていこうと思います。

 

今はもうすっかり調子は悪くないですが、早めに寝ようと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.347 〜「いい関係性」ってなんだ?〜

2017.02.28  【344日連続投稿】

 

 よく関わっている生徒と久しぶりにやり合いました。

 

給食時間に次の授業時間が迫ってきていた時に、まだパンが残っていたけれど食べる様子がなく、「まだ食べるか」と聞いたり、口に近づけたりしても食べなかったため「ごちそうさましようか」と声をかけました。そして、片付けようとすると机をちゃぶ台返ししそうになるほど不機嫌になってしまいました。

 

あ、本当は食べたかったんだなとすぐに思いました。

次の授業も迫っている中これ以上延長は難しかったので結局片付けましたが、その生徒は周りにあるもの全て投げてしまいそうになるほど、気持ちが荒れてしまいました。

 

ここ1ヶ月ほどは、嫌なことがあっても私に対しては叩いたり引っ掻いたりして伝えることがなく、少し人と接する態度がいい感じに変わってきたと私は感じたいたのですが、久しぶりに私一人では対応できない状況になりました。

 

担任の先生が私の代わりに対応して頂くと、その生徒は気持ちを切り替えることができて、次の授業に間に合うように向かって行きました。

 

信頼関係までとはいかないが、少しはいい関係性を築けていると思い始めていたので、少し落胆している自分がいました。

 

でも、こうやって少し落ち着いて考えると「いい関係性」ってなんだろう?と問いが浮かびました。

 

言うこと通りに動く生徒と私の関係が「いい関係性」とは言えるわけないと思いますし、むしろここ1ヶ月は我慢していたこともたくさんあったかもしれないなと思いました。

 

表面的な問題が起こらないことを良しとすることに目を向けてしまっていたのかもしれません。

 

意識できてないことが必ずあって、それが募りに募って現れたのかもしれないです。

 

いくら一方的にが上手くいってると思っていても、相手は態度や言葉にしないところで、不安や苛立ちなどを抱えてしまっているかもしれないです。

 

今現在上手くいっていなくても、またお互い築き上げていこうとする姿勢が大前提にある関係性があるってことが「いい関係性」なのかもしれないと思いました。

 

今日は、その生徒はその後寝入ってしまったので、また明日からその生徒と小さなことから築き上げていきたいと思います。

関係性って、日々変わるものだし「いい関係性」だと薄っぺらく思い込んだ時には、盲点が生まれやすいのかもしれないなと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.346 〜「できる」「分かる」に寄りすぎないように〜

2017.02.27  【343日連続投稿】

 

「できる」や「分かる」が学びのゴールであるならば、「できる」や「分かる」を目的とした教える行為は、教える立場の人が教えられる立場の人をゴールまで連れて行ってあげることだと思います。

 

「できる」や「分かる」を目的としない教える行為は、そもそも「できる」「分かる」を学びのゴールとして据えていないのだろうと思います。

「できない」「分からない」からこそ自ら学ぼうとするのだと思います。

そこには、「できないんだからできるようにならなければならない」といったことも存在しないし、「分からないことがいけないこと」という考えも存在しないのではないでしょうか。

 

その中である1つの問いの答えが自分が分ったりした時に、学びの面白さを実感するのだと思います。そして、また新たな問い浮かぶのだろうと思います。

 

「できる」「分かる」をゴールにしてしまうとその先はないそうに感じます。できたら学ばなくていいし、分ったら学ばなくていいのです。

 

月曜日ってのは、土日に色んなものを取り込むことがあると、職場での自分の感じ方や捉え方が変わる気がしました。

 

おわり。

 

 

 

本日のつれづれ no.345 〜大切にしたいことは既に自分の中にある〜

2017.02.26  【342日連続投稿】

 

自分の理念や本当に大切にしたいことってなかなか見つからない。

 

見つけたようで気付けばもっと大切にしたいことがあったと気づくことが繰り返される。

 

だけれども、どこかに大切なものがあって探すものではなく、本当は既に自分の中にあるものなんだ。

 

色んな経験から呼び起こされるのを待っているだけなんじゃないだろうか。

 

分からないから立ち止まることも大切だけれども、分からないなりに進むことはもっと大切に思えるようになってきた。

 

おわり。

第7回インタビューゲーム会@サムハプを終えて

2017.02.25  【341日連続投稿】

 

本日は、私が住んでいるシェアハウス「サムハプ」にて、第7回になるインタビューゲーム会を開催しました。

 

《インタビューゲームとは》

            ↓↓↓↓↓

インタビューゲームについて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

今回は、3名の方にご参加頂きました。

f:id:hiro22yasu13:20170225202606j:image

今まで奇数の参加人数の時は私も参加して調整していたのですが、今回参加された方々とはインタビューゲームをしたことがあったため、変則的な形式にしました。インタビューをしている2人を観察する「観る人」という役割を設けて、3人でインタビューゲームをする形式をとりました。

 

〔参加者の感想〕

◯ 質問で、大切にしていることは何かと聞かれたとき、言葉に詰まりました。実際にはそれは自分の中にあるはずだけど、言語化されてないからすぐに出なかったのだろうと思います。

好きなことは答えられる気がするんですけどね。大切にしていることは、もっと具体的なことだから、意識して取り組んでいる人だけが言葉にできるものなのかと思いました。

何かに対して自分が言葉をもっていないことに気づけるのは人と話すことの良さのひとつだとあらためて思います。みなさま今日はありがとうございました。また会いましょう。

 

◯今日のインタビューゲーム会に参加して、まず感じたのは人からの「問い」の大切さです。人から問われることで自分の無意識や盲点に焦点があたり、確認をするという行為が生まれます。日常の中で意識できていなかったり、自分の中で当たり前として分かったつもりになっていたことが実は取り組めていなかったことに気づけました。そして今日は「大切にしていることはなんですか?」という問いを何度もしてもらうことで、自分が大切にしていることを再確認するとともに、自分が正解幻想に陥っていることに気がつきました。インタビューゲームも日常のコミュニケーションも「正解は何か?」より「大切にしたいものは何か?」に基づき行えたらより生き生きとしたものに変化するかもしれません。人にも自分にもその人が大切にしたいことに気づける問いを出すことを心がけて日々生活したいです。

 

◯・相手によって質問・話し方が変わる。

    ・聞き手のまとめ方にも特徴がある。

    ・自身と相手の視点が異なる。

    ・関心によって質問が変わる。

    ・決めている問いはあるのだろうか?→人によって違いが分かる良さもある。

                                                             →関心は変わるものであるから質問も自然と変わってゆく。

    ・第3者(観る人)→聞き手がどんな質問をするかによって聞き手の人柄や考え方が分かる。

                               →自分との対話では見えないことも分かるかもしれない。

                               →第3者がいることで、インタビューしている者同士では気づけない盲点や人によ

                                   って雰囲気など変わることが気付ける。 

    ・相手と築きたい関係性によって質問が変わる。 

 

私の気づきとしては、今回は3人でインタビューゲームをするという変則的な形式をとった良さが見えました。もし、今までのように私が入ってペアが2グループの状態や複数グループですと、振り返りの際に他のグループからの意見がなかなか腹に落ちなかったり深まらなかったりすることが今まででありました。それは、私の中では悶々としたものとして残っていて一つの課題だなぁと感じていました。しかし今回は、私も含め参加者全員が同じ空間に参加していたので、振り返りでの気づきや学びが広く深かったように感じました。また参加者の感想にありましたが、第3者の存在がお互いでは気づけなかったことに気づかせてくれる存在であった気がしました。機会があれば、3人グループを2つ作ってやるとどうなるんだろうかと気になっています。少しインタビューゲームを使ったワークショップの幅が広がってきているように思えます。

 

f:id:hiro22yasu13:20170225202637j:image

f:id:hiro22yasu13:20170225202644j:image

f:id:hiro22yasu13:20170225202651j:image

 

次回のインタビューゲーム会は、3月19日(日)14〜18時です。場所は、私が住んでいるシェアハウス「サムハプ」です。

 イベントページはこちら→【定員6名!】第8回 インタビューゲーム会@サムハプ

 

おわり。