名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.366 〜とりあえず365日書き続けて〜

2017.03.21  【365日連続投稿】

 

ひとりで居たいと思うのは、自分はひとりだからだと思っているからなのだろう。

 

他人がいて、私がいるということを知っているからこそ、ひとりで居たいという気持ちが生まれるのだろう。

 

赤ちゃんが「ひとりになりたい」と思わないのは、まだ自分という存在を認識して居ないからなのだろう。

 

他人と自分を異なるように認識できるようになった今の自分だからこそ、ひとりで居たいと思う瞬間があるんだな。

 

ひとりで居たいと思う理由は様々あるだろう。

 

でも、ひとりで居たいと思う根底には、無意識であっても他人の存在を知っているからだということを忘れないでおきたい。

 

そして、私がこうやってブログを書いているのも、私以外の人がいるからこそ書くことができるのだなぁと心底感じます。

 

皆さんのおかげで、とりあえず365日書き続けていられるのだと思います。

 

自分が思っていることを残したいだけでなく、誰かに伝えたいと思えるからこそ、書くことに繋がります。

 

伝わるか伝わらないかを考えて書くときも増えつつありますが、それよりも表現したい気持ちが先にあります。

 

表現するなら伝えたいと私は思ってしまったのです。

 

今こうやって書いているときも、私は自分の気持ちを掘り下げながら、誰かに想いを馳せながら言葉を紡ぎ出しているのだろうと思います。

 

雑に言ってしまえば、ただ思いついたことを綴っているのですが、そのことに私は私自身が救われることもあれば、自分の世界を広げてくれることもあることをこの365日書き続けたことによって気付かされたと思っています。

 

これからも相変わらず、書き続けていくことになると思います。

 

これからもお付き合い頂けると嬉しいです。

 

おわり。

第8回インタビューゲーム会@サムハプを終えて

2017.03.20  【364日連続投稿】

 

昨日、私が住んでいるシェアハウス「サムハプ」にてインタビューゲーム会を行いました。

 

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4人参加でインタビューゲームを行いました。

 

《インタビューゲームとは?》

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インタビューゲームについて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

参加者の一人の感想

 

2回目のインタビューゲームでしたが、前にやった時とはまた違いました!一緒にやる相手とその時の自分の心境によって変わるのだと思いました。書いてもらったカードを読んでみて、すごく相手の人らしさが出ていて、自分が相手の話したことからズレることを恐れているんだなと気付かされました。インタビューゲームに限らず普段からもっと自分らしくあろうと思います!

 

 私個人的には、改めてインタビューゲームは自分が他人とどう関わっていきたいのか見つめ直す機会であると感じました。

 

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おわり。

本日のつれづれ no.365 〜自分を知るには?〜

2017.03.19  【363日連続投稿】

 

普段接しない人や場所に行くことは、自分が何を理想としていたり求めていたりしているのかよく分かると思います。

 

普段関わりを持っていない場所では、その場にいる人たちには自分の思っていることをストレートに話すことはできないなぁと、私は思ったりします。そんなことを思っていると、見えない壁のようなものを自分と他者の間に作っている時なのかもしれません。

 

「言いたいことを言えることが良い」と以前は思っていましたが、最近は言いたいことが言える環境があることはラッキーくらいに思っています。私にとって「言いたいことを言う」ということが、良い面も悪い面もあることではないかと思うようになってきました。どこでも誰に対しても、「言いたいことを言うことを私はしなくていいや」という言葉が感覚に一番近い表現かもしれません。

 

自分の気持ちを伝えようとすべき場面や相手というのは誰でも存在し、そういう相手に対して言いたいことを言えないことが多くあるのではないかと思います。「言いたいことが言える」というのは、相手や場所などの環境ありきのものなのかもしれません。

 

そして、普段接しない人や場所に行った時に自分の言いたいことや人間関係の理想が違和感やモヤモヤ感などでわかるのではないかと思います。

 

そういう場所に行くからこそ、違和感やモヤモヤから自分が言いたいことを言えたり、安心していられる場所があることってどういう場所であるのかを知ることになるのだと思います。

 

だから、まずは色んな場所に出向いたり色んな人と関わったりしないと分からないんだと思います。

 

一つの場所に居続けることはもしかしかしら、依存であるかもしれない。外の世界に出てみないと分からないことってたくさんあるなと思います。

 

ムーミンのミィも言っています。

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自分を知るには、知らない人と関わったりすることが役に立つと思いました。

 

おわり。

インタビューゲーム日記 no.34 〜コミュニケーションの現状把握〜

2017.03.18  【362日連続投稿】

 

インタビューゲーム34人目のお相手は、冨田咲良さんでした。

 

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《インタビューゲームとは??》

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インタビューゲームについて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

冨田さん(以下、トミー)とは、私が大学生の時に頻繁に絡んでいた「ことばこ」という学習塾がつくるコミュニティで気付いたら顔見知りになっていましたが、お互いのことはほとんど知らないような関係でした。トミーは一度ことばこでインタビューゲームを経験したことがあるとのことでした。今回はそんな状態でインタビューゲームは始まりました。

 

【知ってる人ほど聞くことが難しいと改めて思ったことから掘り下げると...】

過去になんとなく知っている人に聞くのは難しいと感じたと書いた記事がありました。

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インタビューゲーム日記no.21 〜枠をつくることで先入観がつくられる〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

この記事では、なんとなく知ってるからこそ作ってしまう先入観や枠があるなと感じことを綴っていました。

 

そして、今回は知ってるからこそ「これ聞いていいのかな?」と思うことがあり、聞かない聞けないことを私は選んでいたのだと振り返ると思いました。

ただ、このインタビューゲームだからこそ聞けない自分がいることを自覚できるのだと、むしろ思います。

聞けない自分がいるからこそ、分かってくることがたくさんあると思います。

私自分は一体何を相手に聞きたいのか?

相手とどんな関係性でいたいのか?

相手が自分と過ごしている時間がどうあって欲しいのか?

聞けない自分がいることから、色んなことが自分の中の問い問いとして浮かんできます。

 

そして、どうやったら聞けるようになるのかというよりも自分が何を聞きたいかという方が本質的である気がします。

相手からこう思われるんじゃないかと自分のことを考えるよりも、一緒にどんな時間を空間を過ごしたいのかと考える方が本質的であると思います。

 

インタビューゲームは、「相手から深いことを引き出せた」などの自己満足に浸るものではなく、今の自分のコミュニケーションを見つめ直す機会であるなぁと改めて思いました。

 

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《余談》

最近、就活生から「長所・短所や自分の特徴を教えてください!」などの連絡が多数届きます。それならインタビューゲームやろうよと思う私とインタビューゲームして下さる方がいらっしゃいましたら、是非やりましょう。

 

おわり。

本日のつれづれ no.364 〜終業式を終えて〜

2017.03.17  【361日連続投稿】

 

最近、ある人から「廣安さんのブログは仕事に関連した記事が多いですね〜」と言われて、確かにそうだなぁと思っています。

 

そして、今日も仕事な関しての記事になります。

 

今日は終業式でした。

 

1年間関わってきた生徒とは、今日が最後です。

生徒のことで1年を振り返ってみると、いつの間にか成長していたように思います。

 

何も分からない状態で現場に入った私が言うのはおこがましいとは思いますが、成長したと思っています。むしろ、よく分かっていない人から見ても成長したってことは、成長が著しかったのかもしれません。

 

成長ってどういうことかすら私はよく分かっていませんが、ただできることが増えることだけが成長とは思っていないので、生徒たちを見て成長したと感じているのかもしれません。

 

教師経験がある人がこんなことを言っていたことが印象に残っています。

「日々の仕事は辛いと大変ばっかりなんだけど、1年に1回そんなことが全部吹っ飛ぶほどの出来事があって、日々の辛いことや大変なことはチャラになる」

 

確かに、色んなことが吹っ飛ぶほどやってよかったという感覚になることがありました。

 

人と繋がって、子どもに寄り添い、成長を感じられることがこんなにも尊く、幸せを感じるものなんだと感じさせて頂いた1年であったように思います。

 

これから生徒と会えない日々の中で今年度を終えることになりますが、まとめと整理などしっかりして今年度を締めくくりたいと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.363 〜私でないといけないという欲があることに気付きました〜

2017.03.16  【360日連続投稿】

 

生徒を自分の側に置いておきたいという欲があることに気が付きました。

 

ある生徒は、私よりも経験がある他の先生と一緒に活動した方がその子の学びになるかもしれないし、何よりある生徒が選択して他の先生と一緒にいたいと思ったのは、思った以上に私自身の気持ちが動いた瞬間でした。

 

色んな人と関わりあう環境がいいよなぁという想いがある反面、自分にそういう支配欲みたいなものがあるとは、思ってもいなかった盲点でした。

 

まぁ、そんな自分に気づいて「なんか教員になりつつあるなぁ」と感じつつ、こんな自分に違和感を持てる今の私の感覚を大切にしたいと改めて思いました。

 

また、学ぶ側として経験のない人より経験のある人を選ぶのは、ごく自然な流れだと思います。

 

私より経験ある先生は、私にやり方を見て学んで欲しいたと思っていたかもしれないです。ある生徒の為になるのであれば、私ではなく、経験ある先生から学ぶべきなのかもしれません。

 

私がそんな欲を持っているのは、私が関わらないとかの生徒はダメだという想いの裏返しかもしれないとも思います。

 

そんな自分へ自戒を込めて書きました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.362 〜久しぶりにらくだプリントをやりませんでした。〜

2017.03.15  【359日連続投稿】

 

そういえば、先日久しぶりにらくだプリントをやらなかった日がありました。

 

先週の3月10日(金曜日)にやりませんでした。

 

やろうやろうと思っていましたが、できそうな機会が訪れる度に「やらない」と判断していました。

 

2017年は、欠かさず毎日やってきたのでかなり久しぶりにやらない日が生まれたなぁと思います。

 

毎日やることが前提であることをやらない時は、一日の中で何回もやる機会を模索しているし、お酒に酔っていても寝る直前にやってないことを思い出します。

それでも、やらないと決めたことを自覚しておけばいいんだと思います。

 

そうなれば、できなかった自分を悲観することなく、やらなかった要因や原因にすぐに目が行くのだと今回のやらなかった体験を通して感じました。むしろ、やらなかった要因がはっきりと突きつけられるような気持ちでした。

 

大抵やらない日はイレギュラーがある日で、その場合、今までは代案を1つしか用意していませんでした。

しかし、イレギュラーにイレギュラーが重なった時に代案が1つしかなかった場合、対応できないのです。

 

いくつもの状況が起こりうることを想定した中で、やれるように先を見通しながら、その時その場の選択をしていくことが大切なのだと思います。

 

今までは平日の夜に飲み会がある日は飲み会の前にやることが多くありました。しかし、今回の場合それができなくなってしまった時に、代わりにできる代案が私の中に「帰宅した後にやる」しか持ち合わせていたいことに気が付きました。

結局、終電の電車の中でウトウトしていると最寄駅を過ぎてしまい、夜中1時過ぎから約5キロ歩いて帰りました。流石にその状況ではプリントをやらない選択をして、すぐに寝てしまっていました。

 

今回は、ちゃんとプリントをやれるぐらいの体力と気力を残して帰宅できるか分からないということが分かり、帰宅してやること以外の方策を考える必要があると気付きました。

 

朝にやってしまうか

→どうやれば朝にできるか

飲み会の前は一人の時間を作ってやるか

→どうすれば、時間を作れるか

 

やれるようにすることを考えることは、自分の生活全般を見直すことにも繋がるのだと気付きました。

 

できなかったことに目を向けることは、やらなかったことだということを自覚し、やれる環境にするための方策を見つけることになのかもしれないと思いました。

 

おわり。

 

 

本日のつれづれ no.361 〜今ってどこからどこまで?〜

2017.03.14  【358日連続投稿】

 

「今」と聞いてどこからどこまでの時間の範囲を示しているのだろう。

 

私が思う「今」は、私が一文字タイピングしている瞬間にもどんどん過ぎ去っていて、目にも止まらぬ速さで点を打ち続けている一つの点のようなものかもしれないなぁと思います。

 

先日の教師塾という体験学習を通した学びの場で、「今の気持ちはどうですか?」という質問が幾度も講師の方から質問で投げかけられました。

 

参加者の人は、その時その場の気持ちを話す人もいれば、ここ最近(2〜3日前)も含めた気持ちを話す人もいたように聞く立場の私は感じました。

 

聞きながら、今と聞いて色んな解釈があるのだなぁと思いました。

または、今の瞬間に今から過去と未来に目を向けていて、目を向けている範囲を今と解釈しているのかもれないなと思いました。

 

「今」という言葉が本当はどこを示しているかより、「今」という言葉を使う人がどこからどこからどこまでを示しているかを知ることがなりより大切なんだろうと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.360 〜違和感・モヤモヤがあって当然〜

2017.03.13  【357日連続投稿】

 

今の自分を肯定するために、目の前にあることを否定してないか?という問いが浮かんできました。

 

自己受容できていない自分を何とか保とうとする時の一つの方法なんだと思います。

 

自分に良いも悪いもつけてしまう時点で自分のものさしで色んな物事を測っているということであると思うので、そもそもこの浮かんできた冒頭の問いは肯定と否定という言葉自体現れていることから、とても良い悪いの測定が好きな人なんだろうと思うようになってしまいました。

 

良い悪いの測定好きな自分でいると、自分をどんどん縛ってしまうことに繋がってしまうのではないかと思います。

そんな測定好きな自分を良い悪いと測定することなく、そんな自分がいるなぁと思って自覚できるように違和感やモヤモヤってのを大切にしたいと思っています。

 

違和感やモヤモヤってのは、ない時もあればある時もあります。ある時は、自分に異常があるということだと思い込みがちなのだけれども、違和感やモヤモヤがあることが返って、自分に何か教えてくれたらしてくれるんだろうと思います。違和感やモヤモヤを抱けることを何だか大切にしていきたいと改めて思いました。

 

とりあえず、違和感やモヤモヤあって当然くらいに思っておこうと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.359 〜第3回教師塾を終えて〜

2017.03.12  【356日連続投稿】

 

今日は、工業高校で教員をやられている西尾さんと私で運営している教師塾で講師を招いてワークショップを行う第3回目の日でした。

 

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《教師塾とは》

    ↓↓↓↓↓

教師塾part1 - gt-24o’s blog

 

今回の講師は、普段はヨガのインストラクターやワークショップ講師などをされている本田信英さんをお招きしました。

 

今回も教師の方のみならず、学生や職人さんなどもご参加いただきました。

 

 

タイムスケジュールはこのような感じでした。

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今回は、講師の方と事前に数回打ち合わせをしてつくった内容で「相互承認のための自己理解」という小難しそうなテーマを設けましたが、「自分の気持ちを見つめてみよう」「他者を鏡に自分のしかなかったことに目を向けてみよう」というような意図を持ったワークで構成しました。

 

午前と午後で2つのワークに取り組みました。その中で、数回私の中ではハッと気づかされたり、自分の思考や感性の枠を越えた 感覚になりました。

 

その中で、一つだけあげるとしたら、午後に行った「役割を持って会話を行う」というワークの中での起きたことを書き残したいです。

 

ワーク内容をざっくり説明すると、以下の3つの役割を担い、3〜4人で会話を行います。4人の場合は、話す人が2人になります。話して振り返りまでを1セッション30分として計4セッション行いました。話すテーマは自由ですが、会話中に働きかける人が「今の気持ちはどうですか?」と質問することは決められていました。

観察者=会話には入らず、会話している人たちの話す内容だけでなく表情や仕草にも注目して観察する人

働きかける人=会話に入り、会話が促進するための働きかけをする人

話す人=会話をする人

 

こんな様子でした。

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 私がハッとさせられたのは、2セッション目でした。

実は、私は本日寝坊してしまい、スタッフにも関わらず15分ほど遅刻して参加してしまいました。時折出る寝坊癖が今日出てしまいました。

その寝坊した時の心境を話す流れになり、「スタッフなのに遅刻してしまって教師塾の看板に泥を塗ってしまったと思って、人からどう思われてんだろうとビクビクしながら今日はきました。」とお話しました。

すると、ある人が「あらそんなことを思ってたんですか。僕は違う印象を持っていて、廣安さんには初めてお会いしますが、友人から色々活動させているパイオニアと伺っていて、遅れてきたときは『大御所は遅刻してくるのか〜嫌味とかでなく、すごいな」と思っていました。」と話しされました。

 

それを聞いて、何を自分は終わったことを自分の頭の中でネチネチ思って、自分で勝手に苦しんでいたんだとハッとしました。その人に悪く思われていなくてよかったと言うわけではなく、実際他人が本当はどう思っているかなんて知ることはできないんだから、自分の中で「やらかしてしまった」と思うならそれまでだよなと思い直しました。いつもの負の思考スパイラルに陥っていました。

 

一日の最後に講師の本田さんからジョハリの窓の話がありましたが、この体験は「秘密の窓を開き盲点の窓に気付き、未知の窓にだどりついた」ものだったのではないかと思いまいた。

 

ジョハリの窓」についてはこちら

                   ↓↓↓↓↓

ジョハリの窓で自己分析 | 活用方法 | 自己分析診断テスト「ポテクト」

 

まだまだ多くの気づきがありましたが、今日の最後の振り返りの学びは一つ持って帰ることにちなんで、最も印象に残ったことを書きました。

 

ご参加頂いた皆さん、講師を務めて下さった本田さんありがとうございました。

西尾さんもだらしない廣安の代わりに尽力して頂き、お疲れ様でした。

 

次回の教師塾は、8月に開催予定でマインドマップから学びます。

 

おわり。