名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.376 〜社会人1年目を終えて②〜

2017.03.31  【375日連続投稿】

 

昨日の記事で社会人1年目を終えた振り返りを書きましたが、まだ続きがあるぞという余韻を残して終わったので、今日はその続きを書けたらいいと思います。

 

とは言っても、これと言ってハッキリ自分の中にあるものではなく感覚的にボンヤリとあるものを掘り下げていくことになると思っています。

 

掘り下げていく時は、自分と付き合うようなものだなぁと思うようになってきました。

 

 

もしかしたら、「人の役に立ちたい」という欲で仕事を選ぶ節があるかもしれない。あるいは、仕事の中で「役に立ちたい」と思うのかもしれない。

さらにいうとその「役に立ちたい」という欲は、「人より優れていたい」という欲と言い換えることもできるのだと思います。

 

そもそも仕事にどんな動機があったのかというのは、後から付いてくるものであってやる前からそんなに重視しないほうがいいのではないかと思いました。

何をしたらいいのか分からなくても、何かをやっている中で見つけられるものは確実にあるだろうと思います。

 

そう思うと、役に立つ仕事に就きたいと思うこと自体がなんだかナンセンスなのかもしれない。

仕事である以上きっと誰かの役に立っているし、「役に立ちたい=何もしない自分はダメな人」と思い込んでいるんのではないかと思います。

 

もちろん、仕事に求めることは人それぞれあるとは思いますが、正直どんなこと仕事としてもいいんじゃないかと思うのが私の正直な気持ちです。

 

大切なのは仕事を通じて、どんな自分でありたいか、どんなものを創造したいかという部分であって仕事の中身にこだわればこだわるほど、遠回りしている感覚です。

 

敢えて言うなら、「いい仕事をしたい」という気持ちはあるだろうと思います。

何を持っていい仕事というのかは、それぞれ違うのは当然だと思いますが、それぞれが思う「いい仕事をしたい」を求めるのではないかと思います。それは、自分が発揮されるものであったり、大切にしたいことを大切にできることであったりするのではないかと思います。

 

そう考えると、働くを通して「どう生きたいか」が見えてくるような気がしています。

1年を働いてみて、自分がどう生きたいのかをはっきり分かることはないですが、ぼんやり見ようとはしているんじゃないかと思います。

 

この1年間忙しさに埋もれることなく、自分ともうまく折り合いをつけながらやってこれた自分がいるからこそ、こうやってかけているのだと思います。

 

続きといってもちょっと抽象的なものを書いてしまった感じですが、一歩引いて見ることも時には大切と思ったのでしょう。

来年度は今年度の積み重ねと新しい一歩を踏み出そうと試みる一年になる気がしています。

とにかく、仕事があるということに感謝しています。

まぁそれでも、毎日書くことはやめようとは思いません。

目的がなくやることを日々大切に淡々とやっていこうと思います。

 

おわり。

 

 

本日のつれづれ no.375 〜社会人1年目を終えて〜

2017.03.30  【374日連続投稿】

 

とりあえず、今日で今年度のお勤めは終了になりました。

 

流れるように偶然のきっかけで働くことになった今の職場ですが、よくこんなにいい職場に巡り会えたなぁというのが正直な感想です。まだ、他で働いたことなない自分が言うのもなんですが。

 

社会人になって働くってことは、辛く厳しいことや甘えは許されないなどのネガティヴに捉えた部分ばかり学生の時は気にしていたのかもしれません。

 

実際の1年を終えた私の主観では、大変なことは全くないとは言えませんが、大変に勝る分のやりがいであったり喜びを仕事を通じて得ている気がしています。

 

2016年4月1日〜2017年3月29日までのブログをザッと目を通すと半分以上が仕事を通して感じたことや気付いたことを書いていました。それだけ私にとって仕事に重きを置いていたのでしょう。

 

2016年4月くらいの記事では、「能動性」(自分から働きかけること)と「共感力」を意識して働きたいと書いていました。

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 本日のつれづれ no.74 〜どんな力をつけたいか?〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

今振り返ると、こんなこと最初は思っていたんだといういうくらい今は忘れていたので、意識していたかと問うと意識していなかったものだけれども、多少は自分の枠を広げることは自分主観の中で意識していたと思っています。

 

とにかく分かったことは、「できない」「分からない」けど進むしかないという環境に身を置くことができた一年であったということです。

できなくても逃げることはできないし、やるしかないとなったらなんとかできるように動くものなんだと思いました。それは一年を通して常に「できない」「分からない」を自覚していたからかもしれません。

いつの間にか、できない自分を受け入れで自分のできる行動から少しずつ広げていくイメージで動くと、できないことや分からないことでもなんとかなるイメージを思っているようになりました。

 

一番の変化が、「できないから、分からないからこそ他者に頼ること」を覚えるようになりました。

今まではどうも自分一人でやらなければいけないと思うことが多々ありましたが、自分だけではどうしようもないこと状況にたくさん出会ったからこそ、いつの間にか問題を抱えたり一人で悩んだりすることはなくなっていったと感じています。

 

社会人1年を振り返ろうと思って書き始めましたが、どうやら働いているって感覚はあまり持っていない自分がいるのだなぁと感じました。お金を頂きながら、学びと喜びも頂けて想像以上に充実した1年でありました。

 

まだ書きたいことがある気がするので、明日に続きを書こうと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.374 〜少し体調を崩して思ったこと〜

2017.03.29  【373日連続投稿】

 

久しぶりに少し体調を崩しております。

 

身体が弱っている時には、心も弱っている気になります。

 

そんなときに「体調を崩して、自分は管理がなっていないなぁ」と以前はよく思っていましたが、「普段では気付いていないことを教えてくれる機会なのだ」と捉えようとする自分が今はいます。

 

ついつい早く治したいから病院に行って薬をもらって、という行動を取ってしまうが、そもそも人間に備わっている治癒力を信じることをもっとしてもいいと思います。

 

それでも、仕事などでどうしても休められない世の中なのだなぁと思うと、なんだか病気と向き合うことは、自分の生き方に向き合うことでもある気がします。

 

医療や薬とはうまく付き合うと言いますか、依存しない付き合い方が理想なのかもしれないなぁと思いました。

 

結局、受診しました。

なんで受診したのかっていうと、なんだかんだ仕事のことを考えると受診する選択を捨てることはできなかったからです。

もしインフルエンザだったら、などの思いがあると不安になる自分がいますし、他人に診てもらうことが安心になる気がしました。

もしかしたら、受診したという事実が自分にとっては一番の鎖なのもしれないと思いました。

 

自己治癒力で治すのがいいと先ほど言っておきながら、やはり誰かに頼ることも大事なのかもしれないと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.373 〜身体からの教えには敏感でありたい〜

2017.03.28  【372日連続投稿】

 

身体は正直に今の自分の現状を教えてくれるのだと改めて感じました。

 

今月の17〜26日の期間は20日以外、毎日夜にお酒を飲む生活をしていました。よく体が持ってるなぁと思っていたら、昨日の夜から少し喉に違和感がありました。

 

そして、今朝目が覚めると「これはまずい」と思いました。

何がまずいかというと、2年前の夏に急性扁桃炎で入院した時の初期症状と似たような感じだと思ったからです。

 

今は水を飲む時に少し痛いくらいですが、

これから何も対処せず放っておくと、悪化して約40°の高熱と呼吸するのも嫌になるくらい痛い状態になることになりかねないと思いました。

 

よし、今日はサクッと仕事を片付けて耳鼻科へ行こう。

いや、耳鼻科に行っても対してやれることはないだろうから、ちゃんと生活を整えようと思います。

 

おそらく、身体的にはもっと早く「お疲れですよ〜」と教えてくれてたのだろうけど、気付けていませんでした。

身体がせっかく教えてくれたことと過去の経験を無駄にしないように。

 

おわり。

本日のつれづれ no.372 〜音楽が日常に溶け込みますよに〜

2017.03.27  【371日連続投稿】

 

昨日は、友人の友人であるギターリストの二宮楽さんのソロライブに行ってきました。

 

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演奏されている楽さんから1番近い場所で聴かせて頂きました。

 

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味わい深く飲みやすいカブトビールを飲みながら聴いていると、、、

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 思わずウトウトしたくなる空間でした。

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「この場をつくって下さった方々に感謝の気持ちしかありません。」と楽さんが話していました。

私も同じ気持ちです。

 

「音楽は最も身近な存在であっていい。」

「ヨーロッパでは、カフェに入ると当たり前のように演奏がある」

「音楽がその人の気持ちをちょっとでもあげたり、寄り添ったりできればいいな」

楽さんが心底思っていることなのではないかと、私は思っています。

 

音楽=イベントみたいな感じが私の中には確かにあるけれども、私が学びが日常の当たり前になればいいと思っているように、音楽が日常に当たり前にあることは同じことなんだと感じました。

 

「何気なくある広告のキャッチコピーやカフェの内装などを見るたびに、感情や思考が駆け巡る。常に何かからインスピレーションを受け、音に変換することが僕のやってること」懇親会で楽さんがお話しされている中で私が最も印象に残っていることです。

 

音楽、絵、言葉、造形、、、色んな事や物にその人の想いや人の温かさがこの世には溢れていているんだなぁと思いました。

 

また同じ空間を共にしたいなと思っています。

今回ご参加できなかった人も次回は是非。

 

おわり。

 

 

本日のつれづれ no.371 〜現状把握ってなかなかできない〜

2017.03.26  【370日連続投稿】

 

昨日は一ヶ月ぶりに「未来デザイン」というフレームワークを行うために、お昼から寺子屋塾に向かいました。

 

前の日には納屋橋で行われたヨイチの日本酒祭りに行ったので、11時ごろに起床してゆっくり準備をしていきました。

 

いつも10時スタートに遅刻することに罪悪感を感じながら向かうのですが、今日は遅れていくことを前提に思っていたので、気持ちよく向かいました。

 

一ヶ月前に未来デザインの理念設定の局面をやった時に感じたことはこちらに書きました。

↓↓↓↓↓↓

 本日のつれづれ no.345 〜大切にしたいことは既に自分の中にある〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

今日は、現状把握局面と呼ばれるフレームワークを行いました。

 

その名前の通り現状把握をするわけでありますが、これが難しいのです。

 

自分の中では、これは事実と認識していることは自分の中で作り上げた虚像であることが往々にしてあります。一方で、本当に事実を見ようとすると詳細に調べないといけなく途方に暮れてしまうこともあります。

 

結局は、今の自分がどういうところに目が行きがちで、思考が偏っているのかを気付くためにやっているような気がして取り組みました。

 

今回は、理想と現状のギャップに気付けたことから、じゃあどうしよかっなぁと思うきっかけが生まれました。

自分の中ではとても価値あるものであったと思っています。

 

とりあえず、ひと通り未来デザインのワークを行いたいと思っています。

 

おわり。

 

 

本日のつれづれ no.370 〜ありのままの自分なんてない〜

2017.03.25【369日連続投稿】

 

最近、妙に「ありのままの自分」とか「自分らしさ」って言葉に踊らされているんじゃないのか気になり始めました。

 

ありのままの自分とか自分らしさって、かえって自分を窮屈にしてしまうような捉え方もできるなと私は思います。

 

どんな人でも、1人でいる時の自分、誰かと2人でいる時の自分、大勢でいる時の自分はそれぞれ異なっているんじゃないのかと思うのです。

 

ありのままは、「あるがまま」ということみたいです。

あるがままって、何か特定の状態を示すのではなく、状態があるがままであるということなんだろうと思います。

起きているもの全て、色んな自分全て自分ということに近いでしょうか。

 

これは自分らしくないと思う自分のも自分。

自分らしさという曖昧な基準で自分を自分で評価する必要なんかないと私は思います。

 

大丈夫。自分らしさなんて思わなくても知らなくても、「あなたらしい」と他人が思うほど、滲み出ていると思います。

 

他人がいるから、どこか他人と比べたり違いたいと思うから自分らしさを必要とするのかもしれないなとも思います。

 

自分にも他人にも偏りすぎず、自分から見た自分にも他人から見た自分にも偏りすぎず、しなやかに生きることが私の理想なんだと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.369 〜器用な人〜

2017.03.24  【368日連続投稿】

 

毎日何か一つでも簡単にやれそうにないことをやり続けるってことは、器用さを身につけることでもある気がしました。

 

わざわざ簡単にやれそうにないことを続けることは、それなりに気持ちを切り替えたり時間を作る工夫をしたりなどの環境を作らないとできないと思っています。

 

そういうことを普段の生活リズムとは異なるイレギュラーな日でも、その時なりの方法を見つけてできる人が、器用な人なんだと私は思います。

 

のらりくらりと上手くこなす事が器用な人という印象がありましたが、どうやったらできるかと意識し行動に移せる人が器用な人なんじゃないかと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.368 〜怒りやイライラがある時は〜

2017.03.23  【367日連続投稿】

 

相手に怒りが湧いてきたり、許せないことがある時は、自分の中に守りたいものや大切にしたいものがある時なんだろうなと改めて思いました。

 

他人を見ているとそのことがよく分かっていても、いざ自分事になってしまうと自分がどういう状況か分からなくなってしまうことは、多々あるのだと思います。

 

時間をかけて相手と向き合いたいけど、時間がないってことも場面によっては生じてくるかもしれません。

 

私の場合は、その怒りやイライラ原因がそもそも相手を自分の言う通りに動かせたいと言う気持ちが結構あります。

 

そんな時は、そもそも相手は自分とは異なる存在であることを思い出して見るといいかもしれないです。

 

あるいは相手をアザラシのように、こっちが言っても何にも動かないようなものだと思っていても損はない気がします。

 

こっちの方が気が楽だなぁ。

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今日は、とりあえずこのアザラシの画像を使いたかったのであります。笑

 

 おわり。

 

本日のつれづれ no.367 〜苦手な人でも関わりを持つとそれなりの関係に〜

2017.03.22  【366日連続投稿】

 

最初はとっても苦手だったけど、気付いたらなんか仲が良くなっている人が私にはたまにいると思いました。

 

そもそも苦手と思うことが、自分と相手との間に壁を作っていることだと思うのだけれども、なんだか最近はそうしてしまうこと自体が良いとか悪いとか思わないようになってきました。

 

そもそも色んなことに対して、あくまでも完全的な主観ですが良い悪いでの判断をしないようになってきている気がしています。

 

大人同士だと、古い人付き合いの方法であるかもしれませんが、「飲みニケーション」ってのは、飲める人にとってはとても相手との壁を越えて話せることなんだなぁと、社会人1年をやった経験から思います。それは、飲みという行為がお互いのメンタルブロックというか、安心できる環境づくりの一つの方法であるのだと思います。ただ、自分がいいが相手は馴染めない環境であるときは、飲んでも飲まなくても気まずく話しやすい場とは言えないかもしれません。

 

ただ、私は有難いことに飲みながら話すということが結構いい感じの環境であるのかもしれません。最近、飲みニケーションのおかげで最初は苦手だったけど気付いたら仲良いなって思うことがあったから、こうやって書いているのだと思います。

 

器がちっさい人かと思ったら、とっても色んなことを考えている人だったり、私の中では中々人と話さないようなことを話せてそれを面白いと受け取ってもらえたり、「なんだ私が最初苦手と思っていたのは、その人のほんのごく一部にすぎない」のだと気付くのです。

 

苦手な人と無理に仲良くしようってのは違うのだと思いますが、たまたま苦手の人が関わる場面が巡ってきたのなら、むしろ苦手な人と自分はどう関わるかを楽しんで付き合えばいいよなって思います。まぁ、頑張りすぎても疲れるのでほどほどに。

 

人と関わることは、もちろん傷つくことはたくさんあると思うけど、それ以上の喜びや幸せがもらえるものなんじゃないかなぁと思いました。

 

おわり。