名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

読物つれづれ no.4 〜あなたの人生が変わる対話術〜

2017.04.14  【389日連続投稿】

 

 『あなたの人生が変わる対話術』(著:泉谷閑示)という本を読みました。

 

あなたの人生が変わる対話術 (講談社+α文庫)

この本との出会いは、いつも御世話になっている寺子屋塾の井上さんがインタビューゲームに関連する推薦参考書の1冊として『こころをひらく対話術』(著:泉谷閑示)を紹介されていることがきっかけとなりました。しかし、最近までは絶版となり入手できない状態でありました。2017年2月にやっと『あなたの人生が変わる対話術』として、出版社が変わったこともありタイトルが改められ刊行されることになったことで手にすることができました。

 

著者である泉谷閑示さんの『普通がいいという病』という本を以前読んだことがあります。自分と関わることや他人と関わることについて書かれており、何度でも読み返してしまう一冊でした。

 

そのこともあり、手に取ると早速読み始めました。

タイトルから想像すると、コミュニケーションの技法が多く紹介されている本のように受け取ってしまいそうですが、

そもそも「対話とは何か?」というところから始まっており、私は今まで当たり前のように「対話」という言葉を使っていましたが、対話についてにもっと言えばコミュニケーションや生き方についても考える機会を与えてくれることになりました。

 

第1章で、そもそも対話とは何か?という問いに対し、対話を行う4つの前提を泉谷さんが提示されています。

《対話を行うための4つの前提》

前提1:相手を「他者」として見ることから「対話」は始まる

前提2:対話は、「他者」を知りたいと思うことから始まる

前提3:対話は、お互いが変化することを目標とする

前提4:対話において、話し手と聴き手に上下関係はない

 

 

以上の4つの前提を見て私なりに対話というものを考えてみました。

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 異なる「私」と「あなた」という存在が、

 

お互いを知りたいと思う関心が交じること。

 

お互いが変わっていくことに不安や恐れがなく、

 

歳や経験が異なっていても、上下関係・主従関係などない。

 

自分の言いたいこと・聞きたいことで相手を束縛するのでなく、

 

相手が新しい自分に出会う機会になる。

 

それが対話なのではないだろうか。

 

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一記事でまとめることが到底できない本だと思うので、気になったポイントを数記事に渡り書くことになりそうです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.389 〜本日のつれづれを再検討〜

2017.04.13  【388日連続投稿】

 

ここ最近、ブログについて再検討をしております。

 

2015年8月11日からアメブロで開始し、2016年1月よりはてなブログに移行して、「毎日書く」ということを決めています。

 

2016年3月22日から現在に至っては、毎日書くことが続いており、書くことから様々な気づきをもらっています。

 

多くの記事が、「これを書こう!」という気持ちで書くのではなく、書きながら気付いていくことを書くことをしている感覚です。

 

書いている記事の主なカテゴリーとしては、以下の3つです。

・本日のつれづれ

→その日の気づき等を書き留める。

・インタビューゲーム日記

→インタビューゲームを行なった振り返りの記録として。

・読物つれづれ

→ざっくりいうと読書記録。

 

私が書いている記事は、圧倒的に「本日のつれづれ」のカテゴリーに属しています。

 

当初は、その日の気付きを掘り下げることを意識していたのだと思っていますが、時には日記のようになったり、ただただ思ったことを書き留めただになった記事もあります。

 

過去に続かない経験を何回もしている中で、書く内容を自分でハードルを上げて書けなくしているということに気付き、「何でもいいから毎日書くこと」を決めてやってきました。振り返ると「何でもいい」としたからこそ、毎日書けたのだと思います。時には、「今日は書きたいことがありません。」と書いたこともありました。

 

今までは自分の思考を単純に文字に起こす。

想いやその時の感情を書き残す。

自分の感情を感じ切る。

 

何でもいいから書くことは、このような役割も果たしていたのではないかと思います。

 

約一年前には、そんなことを書くのはいいけど、わざわざFacebookに投稿するのはどうなんだろうと思ったこともありました。

 

本日のつれづれ no.67 〜自分のブログの在り方を再検討〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ 

 

FBに投稿することで、周りの人からの視線を気にする自分がいたり、自分の承認欲みたいなものがあるんじゃないかと思ったりしていました。

 

しかし、1ヶ月FBに投稿しなかった期間の間で、「書いたことは結局人に見てもらいたい」と思うようになりました。見てもらう人がいないと余計に自分寄りの表現といいますか、独りよがりの文章になっている ような気もしていました。

 

FBへの投稿を再開してから内容にはあまり他人を登場させないといいますか、自分の中で起きていることを書くことを意識して書きました。

 

結局、自分の想いばかり書いていても毎日同じようなことばかり書いたりしていて、「堂々巡りしてるなぁ、自分」と思うことがしばしばありました。週に1度通っている寺子屋塾での繋がりの方が書かれているブログを読むと、「結局、自分の中で起きていることの背景や過程が書かれていないと独りよがりの文章になってしまうのではないだろうか」と思うようになりました。

 

今回、再検討しようと思ったのは「いきなり自分の気持ちをずら〜と書いていくのでなく、そう思った背景や過程を書くことが必要なのではないかと思うようになってきたからです。背景や過程を書くことでより一層自分を客観的に観ることにもなるとともに、独りよがりのものではなくなるのではないかと思います。伝えたい気持ちもありますが、もっと自分の気持ちを自分が知ってできるだけ気持ちを表現したいのだと思います。表現するなら、伝わるものがいいとも思っているのかもしれませんが。

 

また、仕事の中身については書かない方向性でやってきたいと思っています。なぜなら、自分が背景や過程を書こうと思ったら、どうしても周りの人を登場させたりしなければならないことが多いと思い、それは名前などを出さなくても受け取る人によってNGだったりするかもしれないと思ったからです。

 

とは言っても、いきなり変える自信はなく、背景や過程をぶっ飛ばしたことを書いたりするかもしれません。(背景や過程をぶっ飛ばしてしまう可能性があるからこそ、今の仕事のことはあまり書かないようにします。)

 

今までは「本当に何を書いてもいい」という状態でしたが、今後は「何を書いてもいいけど、背景や過程を書こう」と思います。

 

少しでも変化を楽しみながら、書いていこうと思います。

これからも、、毎日書くは変わらず続けていくので、読んでくださる方はこれからもよろしくお願い致します。

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.388 〜呑んだ後にらくだプリントをやってみて〜

2017.04.12  【387日連続投稿】

 

一昨日の記事より。らくだプリントが二日連続で不合格となり、遂に合格できるまであと何枚かやらないといけないかなと思っていました。

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本日のつれづれ no.386 〜「できない」べくして「できない」のだろう〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

《らくだプリントとは?》

          ↓↓↓↓↓↓

らくだメソッドの教材|どの子にも学力がつく らくだメソッド

 

昨日は、5-20のプリントの2枚目を取り組みました。

1枚目は、目安時間を超え、7問ミスという全くのできていない状態でした。

 

平日は、ほぼ仕事から帰ってきた後にらくだプリントに取り組みます。昨日は、飲み会から帰ってきた後に取り組みました。お酒を飲んだ後で、今までの経験上上手くいかないかなぁと思っていたため、ダメ元での挑戦でした。

 

しかし、結果は時間は約1分30秒早くなって目安時間内におさまり、ミスも1問で、なんと合格でした。

 

これは一体何が起きたのだろうと思います。

 

酔っていて、難しいことはできないだろうから一つ一つの工程(足す、通分、約分などなど。もっと言えば文字を書くこと自体)を焦らず丁寧にやろうと思っていたことは大きかったのではないかと思っています。

 

一つ一つの工程の中でどこかミスが生じているから答えにミスが出るのではないかと思っています。

 

また、一つ一つ丁寧に行うことで凡ミスが大幅に減った結果ミスが減り、消しゴムを使う機会が減ったから時間も短くなったのではないかと思います。

 

昨日の自分は、ある意味自分の状態をよーく把握今の自分に見合った形取り組めていたのではないかと思います。

いつもは、できるだけ早くやりたいなどという気持ちが先行していて自分の実力以上のスピードでやってしまうことなどがあります。

 

しかし、昨日は今の自分の計算力は落ちているから、丁寧にやろうと今の自分の力を把握していたからこそ、それに伴ったパフォーマンスができ、結果がついてきたのかもしれません。

 

まぁ、今日また不合格になるかもしれませんが、らくだプリントを通しての内省は面白いです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.387 〜自分と関わる。他人と関わる。どっちも大事。〜

2017.04.11  【386日連続投稿】

 

ついつい何かを任されると自分一人でやらないといけない責任感を感じてしまうことがある。

 

でも、そんな時はどうも独りよがりになりがちなのではないだろうかと思います。

 

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この続きを書いたはずたのですが、消えてしまいました。

最近、消えることが増えてきています。

また、思い出したらこのことについて書こうと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.386 〜「できない」べくして「できない」のだろう〜

2017.04.10  【385日連続投稿】

 

 初めてらくだプリントで同じプリントを2枚やっても合格できないことが昨日起きました。

 

《らくだプリントとは??》

            ↓↓↓↓↓

らくだメソッドの教材|どの子にも学力がつく らくだメソッド

 

時間はギリギリで2枚とも3問以上ミスをしました。

 

5ー19のプリントは分数の足し算で、帯分数を足して約分までもっていかなれればなりません。

 

例えば、

 

2{\displaystyle\frac{1}{2}}+5{\displaystyle\frac{3}{4}}

 

この式であると、「通分して、足して、分子が分母より大きくなるので帯分数に直し最後に約分する」というプロセスを経て私は解いています。

 

調子がいいときは、足すのと帯分数に変換するところをひとまとめにできたりするのですが、そういう時こそ間違えているのです。

 

時間を意識し少しでも時短をしてい気持ちで計算を簡単にしようとしている自分、短い手順で解いていることが粋だと勘違いしている自分がいます。

 

答え合わせをして間違いに気付くと反省しても、翌日やるときは合格したいという気持ちが先行し手順を省略しようとして間違えることや、単純な足し算で間違えることもありました。

 

一つ一つの工程は決して難しくないはずなのに、幾つもの工程が組み合わさると難しくなるのは面白いなと思います。

 

一つ一つなら今までできていたのに、少し組み合わさるとできないに変わるのです。

 

「できない」ときはそれなりの原因が潜んでいるのではないかと思うようになりました。

 

それは自分の単純な計算能力的な話かもしれないし、気持ちが落ち着いていなかった話かもしれないし、その他に自分が見えていない盲点があるんだと思います。

 

「できない」原因をみるというよりできていない自分を観察していくと、きっと「ここよくするといいかもな」と思うことが出てくるはずだと私は思っています。

 

その反省をなかなか生かし切れていない自分は、ここまではそれは今までどこかでは「2枚目なら1枚目の反省をそんなに意識し過ぎなくても合格できるだろう」と思っていた自分がいたのだろうと薄々感じていたのに、生かしていなかった結果なのかもしれません。

 

どこかで合格したい、合格しなきゃと思っていたのだと思います。

 

おまけに、今日の5ー20は時間以内に終わらず過去最多の7問ミスでした。

 

ついに、ありありと「できない」状況になってきた気がします。

 

うまくいかない時だからこそあれこれ試してみようと思います。

 

しばらく合格しない日々が続きそうな予感です。

 

おわり。

本日のつれづれ no.385 〜「座右の銘」ではなく「座右の問い」を持つこと〜

2017.04.09  【384日連続投稿】

 

座右の銘」ではなく「座右の問い」を持つという言葉に出会いました。

 

細かくいうと、とっくに出会っていたのですが、ようやく最近自分の腹に落ちてきた感覚がありました。

 

この言葉に出会ってのは、1年以上前に読んだ「シゴトとヒトの間を考える  -シゴトヒトフォーラム2012-」(著:中村健太・友廣裕一)という本の中で出会いました。その本の中で数行「座右の問い」を持つことについて書かれていて、当時は読んだようで自分の中には残っていなかったのだろうと思います。

 

しかし、毎日ブログを書くようになったり、らくだプリントを行なったり、寺子屋塾に通ったりする中で、日常的に問いを持つことが当たり前になりつつあり、私の中で問いを持ち続けることと生きることはとても切っても切れないものだと思うようになってきました。

 

その時、ふと思い出したのが「座右の問い」という言葉であったのです。

 

まだまだ私の「座右の問いはこれです」というものはありませんが、日々何かしらへ問いを立てることを大事に生きていこうと思った日曜日でした。

 

おわり。

本日のつれづれ no.384 〜今しか感じられないこと〜

2017.04.08  【383日連続投稿】

 

昨日書いた記事が消えていたので、リマインドで書いていこうと思います。

 

最近は、仕事のことばかり書いていますが、はやり今は仕事に時間を多く使っているので、自然と書くことも普段の生活が影響されているんだと思っています。

 

今年で今の仕事は2年目ですが、「よく見られたい」、「上手く行ってると思われたい」という気持ちが何処かにあるんじゃないかと思います。

 

その気持ちは、不安という形ややる気といった形で表されるのかもしれません。

 

初めてのことだからこそ、感じられる不安であったり期待であったりするんだと思います。

 

そう考えると、今の色んな気持ちは今しか感じられないんじゃないかと思います。

 

今の気持ちは今だけだと思うと、過剰に不安になることもなくいられるんじゃないかなぁと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.383 〜授業を練る時は自分と向き合う時かも〜

2017.04.07  【382日連続投稿】

 

来週から授業が始まるので、担当することになった授業を練っています。

 

私が勤めている特別支援学校では、先生は特定の授業のみ行うのではなく(国語の先生は国語の授業だけ、体育の先生は体育の授業だけではなく)、複数の教科・領域などの授業を担当することになります。

 

私が特別支援学校で働いてみて良いなぁと思うことの一つとして、教科を合わせた指導ができる環境があるということがあります。

 

どういうことか端的に言うと、普通校ですと国語と数学は別々で行われますが、この二つを一緒に行うことを合わせた授業ができるということです。

 

色んな学びは必ずどこかで繋がりができるものなんじゃないかと思っていますし、柔軟に授業が行えるのではないかと思っています。

 

そして私は、日常生活の指導という授業を1年間やらせて頂けることになりそうです。

 

まだまだ、この授業がどういうものなのか捉えられていませんが、結構自由に色んなことをやれそうな印象です。

 

どんなことをしたいか?

何を大切にしたいか?

何を伝えたいか?

 

そんなことを思って授業を練っていると、自分のあり方や生き方を掘り下げているような感覚になってきました。

 

授業を練るときには、生徒を把握することや限られた時間と人数などのハード面はもちろん大切だと思いますが、自分と向き合う作業は欠かせないのかもしれません。

 

そんなことを考えている中で今日、ふとキーワードが浮かび上がってきました。

 

「目標を達成する為に目標にしない」

 

学校教育だと必ず目標やねらいといったものがあります。

そこに向かうけれども、捉われすぎないことから得られる学びも大切にしていきたい気持ちもあり、色んなことに対してスッと取り組める姿勢を大切にしていきたいなぁと思ったのだと、後付けで考えました。

 

とりあえず、昨年度と同じような内容・流れで取り組み私自身が学んでいこう思っています。

 

仕事でも自分と向き合う機会がさらに増えてきそうです。

これからが楽しみです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.382 〜仕事で大切にしたいことに目を向ける〜

2017.04.06  【381日連続投稿】

 

最近は1日があっという間以上に過ぎるのが早い気がします。

 

もし他人から今の自分の生活を見ても分からないかもしれないが、結構楽しいです。

 

昨年度と同じ学校で講師をしていますが、初めてやることや分からないことはまだまだたくさんあります。

むしろ、一年経ってやっとなにが分からないのか少し分かるようになってきたという感覚です。

 

毎日毎日、周りの先生方に助けて頂きながら日々を送っています。

そして、何とか明日の始業式を迎えられる気でいます。 

 

 来週からは授業ということを考えると、さらにバタバタする日々になっていくのだろうなと思います。

 

そんなに中でも、大切なことを忘れないように今日は書きたいです。

 

やはり一番大切なのは「子どもとの関わる時間」なのだろうと思っています。

 

子どもと関わる時間をいかに大切にできるかということを心に常にとめておきたいです。

 

子どもと関わる時間を大切にする為に、その他のことに力を入れないといけない場面が出てくると思いますし、いろんなことが繋がっているからこそ、「子どもに関わる時間」を大切にしたい気持ちを忘れないでおこうと思います。

 

さらに言えば、どんな仕事内容であっても大切にしたいことに繋がってくると思うと、色んなことに対して問いが浮かんでくるんじゃないかなと思いました。

 

今年一年にとにかくやり切ろうと思っています。

 

おわり。

本日のつれづれ no.381 〜できることからやればいい〜

2017.04.05  【380日連続投稿】

 

とりあえず、新年度が始まってやることがたくさんあるのは分かるんだけれども、何をどうやればいいのかよく分からないことがたくさんあります。

 

まず何をやればいいのかすらよく分かっていないんじゃないかと思います。

 

そんな時は、できることからやっていくことが大切なんじゃないかとふと思いました。

何だか当たり前のようだけれども、今まで大切だと思っていた以上に大切だと思ったのです。

 

できることをサッとやることは大切だとよく言われると思っています。

当然、締切など時間的なこと大切ですが、とにかくできることからやっていくことを今は書きたいという気持ちです。

できることからやっていくと、できないことや分からないことが残っていきます。

そうすると、できないことや分かっていないことをやる以外ない状況になればやるしかないです。

 

だから、無駄な時間を使ってしまうくらい「何からやろう??」と迷ってしまうのであれば、できることから手をつけていけばいいと思うのです。

 

もちろん、何からやろうがその人の裁量だと思っています。

しかし今日私が思ったことは、できないことや分からないことを避けたくなるけど、やるしかない状況を作ることは一つの手だということです。

 

さらに言えば、できるできない・分かる分からないを考えずスッとやるということは、できない・分からない自覚が前提として必要なんじゃないのかと思いました。

 

まぁ、できないことや分からないことばかりに目を向けすぎても全体的に偏りが生じると思うので、万遍なく現状を把握することがやはり非常に大切なんだろうと思いました。

 

私としては、周りの方が助けて下さる内に足下を固めておきたいと思います。足下を固めるというのは、分からないことできないことをスッとやるということです。

 

おわり。