名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.408 〜同じ失敗をしても、違いあり?〜

2017.05.05  【410日連続投稿】

 

初めて経験すること。

一度経験したことがあること。

二度経験したことがあること。

 

同じような経験でも、その人の中ではすべてが全く同じではないのだと思います。

 

失敗することも同じで、「同じく失敗を繰り返すな」とよく言われますが、きっと毎回他人から見たら同じ失敗でも、本人からしたら少し感覚が違うんじゃないか?と思います。

 

失敗しないように努めたけど失敗したとか、

以前は焦って失敗したけど、今回は落ち着いて失敗したとか。

失敗は失敗でも、中身が違う。

自分をちゃんと見れている人は同じ失敗の中からでも、違いや異なる学びがをしてるんじゃないかと、

ふと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.407 〜2017年寺子屋デイ①に参加して〜

2017.05.04  【409日連続投稿】

 

昨日は、週に一度通っている寺子屋塾の半年に1回ある寺子屋デイに参加しました。

 

寺子屋デイは、普段なかなか塾生同士が交流する機会がないために、毎年5月3日(憲法記念日)と11月3日(文化の日)に開かれる交流会です。もちろん、塾生でなくても参加できます。

 

主な内容は、半年を振り返るをことをテーマとし、インタビューゲームを用いて参加者と主催の井上淳之典さんと交流をしました。

 

《インタビューゲームとは??》

 インタビューゲームについて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

インタビューゲームでは、最初の説明をさせて頂きました。普段、私が個人的にやっているときは、自分で作成した説明用紙を使用しているのですが、久しぶりに井上さんが作成された説明用紙を使って説明すると、同じことが書かれていても伝わり方が違うんだと感じました。井上が伝えたいことが詰まっていると思いました。

 

説明の時に、一つ勉強になったことがありました。

インタビューゲームのルールはなぜこの3つなのかということがはっきりしました。

 

1.何を聞いてもいい

2.聞かれたことを話さなくていい

3.聞かれてなくても話していい

 

普段のコミュニケーションは、話し手が主導権を握っている印象がありますが、実は聞き手に主導権があるということをインタビューゲームでは大切にしています。

むしろ、聞き手次第でいくらでもコミュニケーションって左右されるものです。

だからこそ、それに対抗するために2と3のルールが必須なんだということを知りました。 

 

今回のインタビューゲームでも、やはり聞くことは難しいと痛感しました。

しかし、難しいからこそ良いのだと思うのです。学びの終わりがないからこそいいと思うのです。

終わりがないってことは、人と関わることの終わりはないということなんだと私は思っています。

人と分かり合えなかろうが、傷つけられようが人と私たちは誰かと関わっていきていくのです。

自分と違う他人だからこそ、関わることでの喜びや幸せを感じることもできるのだということを再確認できた気がします。

 

懇親会では、ビールの飲み比べをしたり、懇親会だからこその色んな話ができていい時間があっという間にすぎました。

 

また半年後の自分がどうなっているのか楽しみであります。

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.406 〜他人と共に住うこと〜

2017.05.03  【408日連続投稿】

 

誰かと一緒に住んでいることが今の自分には合っているなぁと日々感じます。

 

「ストレスに感じる時とかないの?」と言われることがありますが、相手に気を使いすぎることがストレスにならないの?ということでしょう。

 

使いすぎることはないですし、むしろ他人がいてくれるおかげで、ちゃんと生活しようと思えると言いますか、ずっとダラダラしていられないなぁと思わされるので、私にとっては程よいのだと思います。

 

今朝、なんだか騒がしいなぁと思って起きたら、友人と初めて会う人がリビングにいました。

おそらく、私の人生で寝起きで目が開かない状態で初めての人とお話ししたのは初めての経験だと思います。

相手の人もなんだかビックリしていたように思いますが、嫌な感じはなかったんです。

 

2,3年前までは他人と関わることに力が入ってしまったり、極力避けたりという自分だったと思うのですが、随分肩の力を抜いて他人と関われているのかなぁと思うことが他人と一緒に住んでいてもストレスなく過ごせていることなんじゃないのかなぁって思いました。

 

私が住んでいるシェアハウス「サムハプ」は今日も平和です。

 

おわり。

本日のつれづれ no.405 〜捨てることも大事〜

2017.05.02  【407日連続投稿】

 

ついつい今よりももっとやったほうがいいことを考えてしまいがちだ。

 

やらないことを決めて、捨てることも重要なんだと思うようになってきました。

 

自分ができることは、はやり限りがあるからこそ、捨てることの選択も大切なんだと思うようになってきました。

 

やることを詰めていったときだから、思うことなのかもしれません。

 

おわり。

本日のつれづれ no.404 〜答えをすぐに出す必要はないのでは?〜

2017.05.01  【406日連続投稿】

 

自分にとって、課題や問題だと感じることに出会うとすぐに解決策を見つけようとする。

 

テストを解いている時に答えを求めるように解決策を見つけるように思考が働いていることがほとんどなのではないかと私は思うのです。

 

なんで、こんなことを思うのかというと今の日常答えがすぐにでてこなくても、なんか楽しい日々を過ごしているからです。

だから、答えや解決策をすぐに見つけようとしなくてもいいのではないかと思ったのです。むしろ、課題や問題があるからこそ、楽しさは生まれているのかもしれないと思うほどです。

 

もちろん、その人なりの答えや解決策があるのは大切なことではあると思いますが、それらを求め過ぎて焦ったり苦しくなったりすることはないんじゃないかと思うのです。

まぁ、そういう時は大抵一人で抱え込んじゃっている時なんだろうとも思っています。

 

答えをすぐに出さなくてもいいけれど、答えを求め続けることは大切なのかもしれない。

ここでいう「答えを出す」と「答えを求める」の違いがいまいち説明しづらいが、結果に囚われず過程を大切にしたいということなのだろう。

 

だから、分からないことは分からないけど、分かろうとすることはやめたくないと思っています。

 

おわり。

本日のつれづれ no.403 〜新年度が始まった一ヶ月を終えて〜

2017.04.30  【405日連続投稿】

 

新年度が始まって一ヶ月が経ちますが、一日一日できることをやっているという日々を過ごしています。

 

なんだかんだ変化があって、それによって不慣れなことをやることが多々ありましたが、今は地に足をつけるといいますか、とにかく目の前のできることをやるという姿勢でいたなぁと振り返ると感じます。

 

言い方を変えると、余計なことに気を取られないようにするとも言えるかもしれません。

 

私はついつい人からどう思われるのか気にしがちなのですが、それはある意味考えすぎであることが大半です。

そう思っても、気にしちゃったりすることもありましたが、気にしちゃってもしょうがないと改めて思いました。

なぜ、しょうがないのかというと、気にすることを解決しようとしても解決に至らない又はその場限りの解決で再び気になったりするということ。そして、気にしてることはいずれは消え去るということ。

だから、しょうがないのだなぁと私は思っています。

 

しょうがないから、やることやろってことです。

やることってのは、仕事上のことだけじゃなくて、住んでいる家のことであったり、料理のことであったり、日々生きる上で欠かせないものを固めるイメージです。

 

そういえば、私が住んでいるシェアハウス「サムハプ」にも変化がありました。

太地くんとガッキー(中垣さん)がそれぞれの場所に移り、新たにガッキー(西垣さん)が入居して、3人で暮らしています。

最初は、なんだか空虚感のようなものがありましたが、今はフツーに暮らしています。

あっ、一部屋空いてるので、入りたい人がいればご相談できます。笑

昨日は、久しぶりに初期サムハプメンバーで集まりました。

生地がお揃いのオーダーメイドのスーツを作りましたので試着のために。

一ヶ月離れて暮らしていますが、このメンバーが集まるとこんな雰囲気なんだなってのがあって、昨日もそんな雰囲気で時間を過ごしました。

 

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来月からは少しずつ落ち着いていきそうな予感はしていますが、目の前のことのやることをやるという姿勢は変えずに、生きたいと思います。

 

おわり。 

 

本日のつれづれ no.402 〜道を求めることをやめない〜

2017.04.29  【404日連続投稿】

 

昨日の記事に書いた『女子学生、渡辺京二に会いに行く』より、一生学んでいくということ、果てしない知の世界に触れ、今後どう歩んでいくかということを書かれている一説を紹介したいと思います。

 

読物つれづれ no.5 〜女子学生、渡辺京二に会いに行く〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

 ただ、あなた方はこの三砂ゼミで学んで卒論を書いたことを一生ずっと後まで背負っていく方々じゃないかと思う。もし研究ということに携わるのなら、非常にエネルギーを要することになります。膨大な本を読まねばなりません。あなた方が全員できるとは思っていません。すぐに好きな男ができて結婚しちゃて、もうそれだけでいいわという方もひょっとしたら出てくるかもしれません。女の人の言うことは当てにならない。僕は何番目かの恋人は、私は絶対結婚しないと言っていた。そしたら、一年ぐらいしたら結婚しちゃった。これはびっくりしたなあ。まあ自分自身もそういうふうに当てにならないものではありますけどね。

 ですから、一生涯学問をやっていかれるとは限らないと思う。だけどここで知の世界、思想の世界、人類全体の問題というふうなことに出会われたのです。専門的にそういう学問をやっていかないとしても、仮に平凡な妻、母親になるとしても、一生本を読んでいきなさい。本を読むということは持続です。書くこともそうですが、持続です。

 私はさっき言いましたように、10歳ぐらいのみぎりからずっと絶え間なしに書いてきたように思うんですが、これも持続です学問も持続です。だからずうっと本を読んでいきなさい。

 あたしは平凡な社会人になったら学問とは縁がない、と思わないことです。普通の平凡な社会人でもちゃんとした読書人にはなれます。一生本を読みつづけることがだいじです。そして何かこういうことがやりたいな、研究しないなってことがあったら、一冊の本を書きなさい。書いてもいいんです。そのためにはあるテーマに関する文献、研究書を読み上げなきゃいけないでしょう。自分自身の見方というのが必要でしょう。でも私のような大学の教員になったことが一度もないような人間、民間でずうっとあくせく、あくせくして、綱渡りのようにして飯を食った人間にでもできることです、やる気さえあれば。

 学者や研究者になるとか、あるいは変な意味での自己実現をするというじゃなしに一生何か模索していく。人間とはなんなのか、どうあればいいのか、社会というのはどうあればいいのか、一生模索していって、本を読んでいってテーマをつかんだら本を書くといい。 

 『論語に出てくる話だけど、孔子のかつてのお弟子に孔子が言いました。私なりに脚色して言うと、

 私は先生のことをずっと尊敬しておりますが、先生がおっしゃった通りできなかったし、俗な生活をしているんですが、でも、先生に習って、また若い頃に考えたこt、習ったことは心の中で大事なこととして思っております」と。

 こう言われたら、ほう、感心じゃと言うのが普通でしょう。でも孔子は、「汝中道にして廃せり」と言ったんですよ。おまえは道を求めることを途中でやめたと、突っ放したんです。実に厳しいですが、孔子というのは正しいと思います。孔子さんは偉大なる教育者ですね。

 だから、どんな形であれ、自分が道を求めていくということをやめなければいいんです。

 

『女子学生、渡辺京二に会いにいく』(著:渡辺京二×津田塾大学  三砂ちづるゼミ)p.257~259

 

 

 

おわり。

読物つれづれ no.5 〜女子学生、渡辺京二に会いに行く〜

2017.04.28  【403日連続投稿】

 

 『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(著:渡辺京二×津田女子大学  三砂ちづるゼミ)という本を読みました。

 

女子学生、渡辺京二に会いに行く

 

最近読む本は、私がブログを毎日書くきっかけになった井上淳之典さんがやられている寺子屋塾でオススメされた本と言いますか、寺子屋塾に行って知った本ばかりを読んでいます。寺子屋塾に行くと、机の上にポンと何気なく本が置いてあります。偶然にもその置かれている本が今の自分が考えていることを深めるための一助になったり、気になってしまうものばかりで、ついつい私はすぐAmazonでポチってしまうのです。

今回のこの本も、同じくビビっと読みたいと思ってポチッとした一冊です。

 

この本は、津田女子大学の三砂ゼミ生が卒業論文に取り組む過程の中で、渡辺京二さんが書かれた『逝きし世の面影』という本を読んだことがきっかけで、女子学生10名ほどと渡辺京二さんがそれぞれの学生さんの卒業論文テーマを軸にお話をする機会を1冊の本にまとめてあります。

 

対話形式で書かれているので、渡辺京二さんの人柄が色濃く表現されてありますし、読みやすいなぁと思いながら読みました。読み始めて1週間で2回読むことができ、今回記事に書こうと思いました。1回読んですぐに、2回目読んでしまったのは、私にとってはあまり経験がないことで、それだけ読み深めたい気持ちがあったからこそなんだと思います。

 

今回も、1記事にまとめることはせずに気になるところを数記事に書いていきたいと思います。

 

本書の中で渡辺京二さんが女子学生に向けて言っていたのは、「無名の人生に埋没するのがよい」ということだったのではないかと、私は思います。

 

そのことが最も表現されている箇所を本書より引用します。

〜中略〜(自己実現しなさいというスローガンは、100人中80人自己実現できない人間がいて当然だ、というスローガンになるわけであります。)

そもそも自己実現なんて言い出した人たちは、特に女性を念頭に置いて、いままで社会に抑圧された人間を解放したい、そういうところから自己実現ということを言っているんでしょう。人間は封建的なしくみやいろいろなしがらみから自分が押し殺されている。そいういう自分を解放してやりたい、そんなふうな大変そうな動機から、自己実現なんてことを言っているんでしょう。しかし、それは実は非常に冷酷な要求で、そういうふうになれない80%の人たちは、おまえはだめだと言われているに等しいんです。だから、私は自己実現なんてできないわ、と落ち込んで、死んでしまいたいと、なってくるやつがいるわけです。自己実現なんていうのは、エリートのバイアスがかかった非常に過酷な要求なんです。

 あのね、最初から自己実現されてるんだからさ、その自分に沿って生きていく、それでいいんです。自分の持って生まれた性質を殺すことなく生かしながら、周りと調和するためにはそれをどういうふうに修正していくかという知恵を得ながら、人の間で生きていく、それだけでいいんです。

 人の上に立って有名になったり、特別な才能を発揮するような人間を基準において、自己実現なんて言われたら、一人一人の人間に強迫観念を植えつけていくことになる。中学だけ出て、上の学校には行かない、あるいは高校だけ出て上の学校に行かない、というような人も今でもいると思いますが、そういう人は最初からそんな野心は持たないで、自分は平凡でいいんだ、自分は好きに生きるだけでいいんだと思ってることが多いからいいんです。でも、大学教育は今、半数以上を占めている。その半分以上の若者に自己実現しなさいなんて言ったら、これはたまらんですよ。

 ですから、人間というのは、簡単に言ったらもう学問なんかしなくたっていいわけなんです。芸術なんてわからなくたっていいんです。自分が取り巻いている自然、四季というものを十分に感じられる人間になること。何も盆栽を作って庭に並べろとか、自分なりのガーデンを作れとか、そんなことじゃありませんよ。そういうことが好きな人はやりゃあいいんだけど、毎年流れゆく四季、それから自分の町を取りまいているいる佇まい、あるいは空の色、あるいは四季折々に咲く花、そういう中で生きているという喜びを感じるということですね。

 今、町ということを申し上げましたが、たとえば昨夜皆さんとイタリア料理の店に行きました。僕はああいうお店が好きで、よく行って若夫婦と仲良くなっているんですけど、自分が暮らす町にそういう店が何軒かある。あるいは町のなかの川が流れるきれいな場所があって、その佇まいが大好きなんだ。小さい時からその場所が好きだというふうな、そういう自分の生活環境に対する愛着のようなもの、自分が住んでいる町というものに対する喜びを感じる。それは何でもないことですが、非常に大事なんです。働いて、たまの日曜日には有名なお店に行く、あるいは好きな場所を眺める。そういうふうに自分を取りまいている町、あるいは自分を取りまいている自然環境、それの中で美しいとか、楽しいとかということが一番大事なんでございます。

 ところが、そういうものがだんだんと失われていっていることが問題なんで、大事なのは、自己実現とかヘチマよりも、そういったものを取り返すということです。それが自己というものを全うするということなんです。自分が住んでいる地域が楽しい、そこが好きな場所になれば、住んでいる人がいるので、この町に住んでいる人々が好きだなあとなってくる。そういうものを作っていくことが大事です。自己実現とかヘチマよりも、そんなことがずっと自分を幸せにしてくれるんです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.401 〜「〜でしょ」をよく使っていた〜

2017.04.27  【402日連続投稿】

 

今日、生徒と関わっている中で「〜でしょ」という言い回しを結構使っていることに気が付きました。

 

今考えると、「〜でしょ」という言い回しは、聞いているようでこちらの意見や考えを押し付けているような気持ちがします。

 

もしかしたら、今まで私が気付かない内に、生徒に押し付けていることがたくさんあったのではないかと思いました。

 

ちょっとした気づきであるようなんですが、どうも私にとっては仕事のことのみならず、人と関わる上での重要な気づきであると思っているので、書こうと思いました。

 

 

「〜でしょ」は、コミュニケーションを打ち切る手段になりかねない。

 

相手の話を言いくるめるような言い方になる時もある。

 

相手を上手く捉えているのではなく、自分しかみていないのだろう。

 

「〜でしょ」のみならず、自分がよく使う言い回しに目を向けると、自分の関心がどの方向に向いているのかよく分かるのではないだろうか。

 

人と関わる時「〜でしょ」と使わないようにしたいと思ったので、自分にタガをかけてみるためにも書いてみました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.400 〜自己紹介シートを読み直してみて〜

2017.04.26  【401日連続投稿】

 

先日、インタビューゲームを行い、ふと相手が書いてくれた自己紹介シートを読み直したときに思ったことがありました。

 

それは、「これは第3者が読むと、なかなか分かりずらかったり、伝わりきらない部分があるよなぁ」ということです。

 

書いて頂いたときには、「これでめちゃいい」と思って読んでいたのですが、いざ時間をおいて読み直してみると、そんなことを思ったのです。

 

それは、編集してくれたお相手が上手くなかったということではなく、この2人の間だけだから伝わるだろうという前提があって書かれているものだからなんだろうなという印象を受けました。

 

2人のセッションであろうが、私とあなた以外の誰かが読んでくれる前提で書いてみるとどうなるんだろうと思いました。

 

これからやっていく中で、少し意識してみようと思いました。

 

おわり。