名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.447 〜問い続けられない人はいない〜

2017.06.19  【455日連続投稿】

 

本当に自分で持った問いを問い続けていることを知ろうとしても、一朝一夕で分かることじゃない。

 

自分で問いを見つけられなくても、誰かの問いをどうやったら分かるかな?この人は何を考え伝えたかったのかな?

という問いは誰にでも立てられる。

 

だから、問いを立てられない人問い続けられない人は誰もいないってことにもなるなと、ふととんでもないスケールの話を聞いた後に思いました。

 

おわり。

インタビューゲーム日記 no.37 〜面白いことを言っている時は、面白さが滲み出ている〜

2017.06.18  【454日連続投稿】

 

インタビューゲーム37人目のお相手は、住田涼さん。

 

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《インタビューゲームとは⁇》

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インタビューゲームについて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

住田くんとは、大学時代とあるイベントで知り合ってfacebookでは繋がっていましたが、話したことはありませんでした。そんな中、2016年3月に岐阜で行われたJMF(Japan Motivation Forum)というイベントに参加した時、住田くんがものづくりについて話している姿やfacebook上で岐阜マーブルタウンという小学生を対象としたキャリア教育に取り組んでいるのが印象的で、いつかお話ししてみたいなぁと思っていました。 住田くんの誕生日にメッセージを送ったことがきっかけで今回のインタビューゲームが実現しました。

 

【面白いことを言っている時は、面白さが滲み出ている】

 当日お会いした時の住田くんの第一印象としては、物静かであまり感情の波がなく落ち着いた人だなぁと思っていました。しかし、インタビューゲームで話し始めると彼は面白いんです。私は「住田くん、話すとめっちゃ面白い」と思いました。

 この時、私が感じた面白さというのは、「冗談を言える」「ユーモアがある」というような内容や言葉そのものではなく、住田くんが「面白い」と感じている物事を話していると、こっちまで面白く感じてきたということです。今こうやって振り返ってみると、やはりその人が本当に面白いと感じているのかってのは、話す内容で分かるのではなく、話す姿に滲み出てくるものなんだなぁと思いました。もしかしたら、普段話さないあの人も「話すと面白い人」なのかもしれません。

 

【具体的なエピソードを覚えていない自分】

住田くんからインタビューされる時に「◯◯について印象に残っている出来事やエピソードはありますか?」という質問がいくつか投げられたのですが、具体的な話ができませんでした。確かに、感動したり心からいいなと思うことがあったということ自体は覚えているのですが、具体的な話ってのは全然できなかったです。単に自分が記録していないってこともあるんだろうけど、本当に良かったり感動したってことは「言葉にならないくらいの良いや感動」っていうこともあるかもしれないなと思いました。突っ込んで聞くことも大切だけど、相手の答えにいい意味で期待しすぎないってことも大切だし、相手の答えをどう捉えるのか意識してみると、別の角度からの質問ができるのではないかと思いました。

 

【相手から質問してもらえるから気づけることがある】

毎回と言っていいほど、相手の質問に対して答える自分が発している言葉に「ハッ」とさせられることがあります。あの時、本当はこう思っていたのではないか?とか。それは、新しい自分に出会っているということになると私は思っています。インタビューゲームでそういう経験ができるのは、質問が重要だという意識のものインタビューをしてもらえるからだろうな。自分でいくら考えても気づけないことに他人はいつも気づかせてくれることを今回の強く感じました。

 

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個人的にインタビューゲームをやって頂ける方大募集中です!!平日の夜や休日なら予定を合わせて行なっています。ご興味あるからは、是非ご連絡を♪

 

おわり。

本日のつれづれ no.446 〜書くことでの可能性①〜

2017.06.17  【453日連続投稿】

 

仕事について極力書くことをやめるようになって約2ヶ月半経ちました。

 

この2ヶ月半でどういう記事が増えてきたのかと言いますと、本から言葉を借りている記事が非常に多くなっています。

 

以前は、自分の中にある言葉だけで書いており、自分以外から言葉を借りてくることが何だか楽をしているみたいな気持ちになることがありました。本などから言葉を借りたり引用しただけの記事を書いてた日は私自身「なんか逃げたかな」「楽しちゃったかな」という気持ちになるということは、書くことは自分と向き合うための手段だという1つのことに意識が強く向いていたんだと思います。

 

それに比べて、2017年4月から今日までのところを振り返ると、私の中で書くという行為の可能性が広がったと感じています。

 

具体的に書く力が今日はないので、詳しくは後日書くということを今日は書きました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.445 〜教育に関わる者としての自戒②〜

2017.06.16  【452日連続投稿】

 

Facebookには、過去の投稿が見れる機能がありまして、ちょうど一年前に書いた記事を毎日読んでいます。

 

今日は、一年前の2016.06.16に書いた記事について、リライトで書きたいと思います。

 

一年前の記事

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本日のつれづれ no.124 〜教育に関わる者としての自戒〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

新・教育者宣言

 

人を教育によって変えられると思っている人は教育者ではない。

この子には私が必要だと思い込ませて

その人から離れることができないように

あなたのおかげで今があると思い込ませて

人の心をからめとっていく人も教育者ではない。

人から尊敬され尊敬される人は教育者ではないのだ。

教育者とは、いついかなる場所にいても

そこに育ちたいと思っている人がいたとき、

その人が何々ができる、何々ができないと無関係に

その人が潜在的にしたいと思っていることを

スッと提案できる人なのだ。

相手がその提案にのらなくてもなんの不満も残らない。

相手が提案にのって、何かができたとしても決して恩を売らない。

たまたま、その人が勝手にその提案にのっただけ

私と無関係と心底思える人が教育者だ。

そんな人がいる場所には主従関係も奴隷関係もない。

似た者同士で群れることもない、セクトもできない。

時間と空間を越えて、個と個の関係だけができていく。

 

引用:『「〜しなさい」と言わない教育』 著:平井雷太

 

「どんな大人になってほしいか?」と子どもに寄せて考えるのではなく、

 

まずは「自分がどんな人になりたいか?」という問いが先にあるべきだと思う。

 

大人になったとしても「自分がどう育つか?」に関心がない人は、子どもを通じて自分を満たそうとしているのかもしれない。

 

人が変わることに期待しすぎない。人が変わろうが、変わらなかろうが不満なく寄り添うことが、自分が気付かないうちに相手のためになっている。

 

自分とっての正しいを周りに押し付けない。

日々、相手と対等な関係の中で過ごしているうちに少しずつ変化と言えないようなことの積み重ねが、やがて変化と言われるものとなる。

 

だから、淡々と目の前の事に楽しめる力が、気づけば変わっていたに繋がるのだろう。

 

私は教育に関わる自分はそうでありたい。

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.444 〜「なんとなく伝わる」への違和感〜

2017.06.15  【451日連続投稿】

 

 「伝わらないことの価値」を再確認。なんとなく「伝わることはいい」への違和感。

 

伝わることは「いいこと」だと 思っていましたが、近頃は何だか違和感を覚える場面もあります。

 

伝わらない時って、何だか悲しい気持ちになったり自分の気持ちが理解されずショックになったりすることがあると思いますが、伝わらないからこそ「伝えよう」「伝えたい」という姿勢が生まれるのだから、全くもって問題なしと思えるようになってきました。

 

普段は、仕事で特別支援学校の講師をやっています。できるだけ、仕事のことは書かないように努めているのですが、今日は仕事で得られた経験、感覚があると伝わりやすいのかなと思ったので少しだけ触れてみようと思います。

 

特別支援学校に限らず普通校も同じく、生徒と会話をする時間は一日の中で多くあると思います。その会話について考えてみると、教師が生徒の気持ちを察して返答したり行動したりということが結構多くあるのではないかと思います。

 

例えば、単語だけで伝えようとしたり話しかける相手に呼びかけなしで誰に言ってるのか分からない発言であったり、そんな具合な伝え方でもなんとなく伝わってしまう、場面が私は多くあるなぁと実体験の中でそう思います。

 

今までは、ここで「たった一言で伝わってるのはすごいなぁ」と思っていました。特に、昨年勤め始めた時には、私は全く生徒が何を伝えようとしているのか分からないのに、長く一緒に過ごしている先生は分かっていて「すごいなぁ」と思っていました。私も2〜3ヶ月ほど過ごしていると、ほとんど分かるようになってきて「一言でも伝わってしまう相手」となりました。

 

でも、普段そういうような「つい伝わってしまう」コミュニケーションをしていると、「伝わること」と「伝わらない」を分けて生きているのではないかと思うようになってきました。

「つい伝わってしまう」というのは、実は「伝わっているのではない」と私は思います。相手の主観の中で勝手に判断したことが伝えたかったことと大して違いがないということなのではないかと思います。だから、聞き手が勝手に判断した相手と話し手の伝えたかったことの食い違いが大きいと明確な「伝わらない」ということになるのでしょう。

 

そんな時に、最も大切なことが「確認し合うこと」なんだと思います。

 

確認し合うことはで、お互いのズレを合わせることが「伝わる」になるのだと思うからです。

そして、「確認し合う」ためには「伝わらない自覚」が必要です。なんとなく分かるけど、分かっていないのだったら「分からない」「伝わっていない」という自覚があるから「確認し合う」行為が生まれるからです。

 

私の場合は、「なんとなく伝わる」ってことは、職場では顕著に表れている気がしていますが、それ以外にも住んでいるシェアハウスであったり友人との間でも起こっているんだと思います。こっちは相手のことを良いなぁと思っていても、相手もこっちにいいなぁと思ってるかは繋がらないこともあります(時々、話さなくてもお互いのことが分かってるという関係性を聞きますが、今のところ内心そんなのないだろと思っています。)

 

コミュニケーションについて考えるということは、やはり技術ではなく私とあなたの関係性ついて考えることであるんだなぁとつくづく思うようになってきました。

 

今の自分の環境が、コミュニケーションというものを考える上で良い環境にいるので、最近はコミュニケーション関連の記事が多くなっていることも自覚しております。

今日はこの辺で、留めておこうと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.443 〜茨木のり子 『「球を蹴る人」 ーN・Hへー』〜

2017.06.14  【450日連続投稿】

 

球を蹴る人

ーN・Hにー

 

ニ〇〇ニ年 ワールドカップのあと

二十五歳の青年はインタビューに答えて言った

「この頃のサッカーは商業主義になりすぎてしまった

    こどものころのように無心にサッカーをしてみたい」

的を得た言葉は

シュートを決められた一瞬のように

こちらのゴールネットを大きく揺らした

 

こどもの頃のサッカーと言われて

不意に甲斐の国 韮崎高校の校庭が

ふわりと目に浮かぶ

自分の言葉を持っている人はいい

まっすぐび物言う若者が居るのはいい

それはすでに

彼が二十一歳の時にも放たれていた

 

君が代はダサいから歌わない

 試合の前に歌うと戦意が削がれる」

〈ダサい〉がこれほどきっかり嵌った例を他に知らない

 

やたら国歌が流れるワールドカップで

私もずいぶん耳を澄したけれど

どの国も似たりよったりで

まっことダサかったねえ

日々に強くなりまさる

世界の民族主義の過剰

彼はそれをも衝いていた

 

球を蹴る人は

静かに 的確に

言葉を蹴る人でもあった

 

茨木のり子集 言の葉 3』(『「私」を生きるための言葉』著:泉谷閑示)より引用

 

おわり。

中学校でのインタビューゲーム会を終えて 〜参加者の感想〜

2017.06.13  【449日連続投稿】

 

昨日の記事の続きです。先日友人が顧問をしている部活動にてインタビューゲーム会をやられてきただきました。

 中学校でのインタビューゲーム会を終えて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

昨日は、概要と内容について書きましたので、本日は参加者22名の感想を載せたいと思います。

 

・私はインタビューゲームをして分かったことが2つあります。1つ目は「人は見た目と比べて面白かったりする」ということです。今日はこのゲームをするまでは、「よく笑う子だなぁ。」とか「明るい子だなぁ。」と思っていた子は、ただ笑う、明るい子だけでなく、本当に笑いがとまらななくなるくらいおもしろい子がいました。部活の後輩として、今まで思っていた以上にかわいい子ばかりで、それが分かれてよかったです。2つ目は、「人によって思いつくことが全くちがうんだなぁ。」ということです。先生が、「質問して下さい。」と言っただけなのに、人によって質問が全くちがって、「人って感じることがそれぞれ違うんだなぁ」と改めて分かりました。楽しいゲームでおもしろかったです!

・先ぱいのことをたくさん知ることができてよかったです。2人で、色々なことを質問したり、ソフト部のみんなが少しずつ深まってきたと思いました。みんなに話す、発表する時間の時は、いろいろ話したり、笑ったりして、楽しかったです。小人の話を先ぱいが書いてくれて、とても、私がいったとおりの文で、読みやすくて、楽しかったです。ふだん言えないことでも言ったり、質問したりできてよかったです。先ぱいに質問したあとの答えが、「あ〜なるほど」や「やっぱりそうか」と疑問に思ったことが解決したりしてよかったです。

・私は、インタビューしたことはこれまで数切れないぐらいしかやったことがなくむずかしかったかとお思いますけど、相手のことをきくことはおもしろかったと思います。それは、相手の以外性のあるしゅみやifをきけたからです。しつもんされる側でもインタビューされてるなぁと思うぐらいおもしろかったです。まちいくひとにインタビューしていきたいです。仲が深まりました。

・このインタビューゲームで先ぱいと少しでも距離が縮まったと思いました、初めは緊張していたけど先ぱいが優しくしてくれたので楽しく学習することができました。そして先ぱいのことについてよく知れました。また6人グループで話し合う(読む所)では、笑いが絶えなくとても楽しくおもしろかったです。先ぱい・友達(同じグループと、コミュニケーションをとりながら、楽しく学習できました!!!!!!!

・今日をふり返ってとても楽しくて、先パイたちとも同学年の仲間とも、仲良くなれた気がします。相手の知らない一面が見れて良かったです。相手になりって、文章を書くのは、あんまりやったことがなかったので新せんな気持ちでした。最後の6人グループでの発表は感動するものからおもしろいもの、いっぱいあって、人それぞれ個性があって良いなと思いました。これからもソフト部のメンバーで、協力して、世界一良いソフトボール部にしていきたいです!!!!!!

・今日は、同学年や後輩たちとたくさん話し合えてとっても楽しかったです。プライベートや将来の夢についてとてもたくさん語り合えました。とても仲が深まりました。自分の手紙を書いてもらって読んで当たってることが多々あって、インタビューは、とてもすごいと思いました。これからも、友達や人と関わるときにコミュニケーションを大切にして積極的に話せるようにしたいです。

・部活で初めて知り合った人とたくさん話せてとてもいい機会でした。相手のこととかたくさん知れたので良かったです。今日は質問する方と、質問されるほうをやって、質問するほうがとても難しかったです。なにを質問したらいいのか、わからなかったです。質問されるほうは答えるだけなので、ともても楽でした。今日はAさんとの話しだったけど、次はほかの人ともやってみたいです。今日は楽しかったです。またやりたいです。

・私は今回インタビューをしてみて、入部して間もない一年生の子とたくさん話せて楽しかったです。たくさん笑ったし、そーなんだと理解することもたくさんありました。こんな子だったんだまぁと思ってこれからもたくさん話してみよう!!と思いました。一つにまとめることは難しくて、相手になりきろることも大変でした。でも、一番は相手とのコミュニケーションを取れたことが楽しかったです。あまり話したことのなかった人とも、もっと深く関われるゲームだなと思いました。今日はありがとうございました。

・今日、このインタビューをして質問をだすことはむずかしいんだなと思いました。入部したてでそんなに話していなかった後輩たちとこんなに話ができてうれしかったです。こんなことをしてくれてありがとうございました。これからも後輩たちといっぱい話していきたいです。

・今日、インタビューゲームをして、話す側よりも聞く側が難しいと思いました。質問を考えるのが難しかったからです。逆に話す側は、難しい答えのもあったけど少し質問を変えてもらったりして答えやすくしてくれたりしたので話す側はだいぶ話しやすかったです。このインタビューゲームで色々知ることができましたし色々学ぶことができました。

・インタビューやそれをもとにした原文を書いてみて…私は原文を書いてもらった時、ペアの子が「こう思っていてくれる人がいるんだなー」ということが分かって嬉しかったです。そしてインタビューをする側、インタビューされる側で自分的には「インタビューをする」側が難しかったなと、気づきました。後、私は相手に原文を書いている時、なかなか書けなかったので私的には「こーいう系」のやつを考えるのが苦手なんだなと今回の授業?を受けて分かりました。コミュニケーションはとても大切なんだと思いました。

 

・今日インタビューしてみてインタビューで難しいなぁ〜と思いました。特に聞く人が難しかったです。相手のことを考えて質問したので質問するのにすごく時間がかかりました。一つにの質問の答えからそこから広げていくのが大変でした。答える方は言いたいことがたくさんあるのでまとめて一つでいうのが大変でした。

 

・私は、今日インタビューをしてせんぱいとのコミュニケーションなどをとることができた。さいしょはきまずかったけど、インタビューをしているあいだにどんどんしゃべることができたし、これからはせっきょくてきにしていきたいと思います。

 

・質問した答えでその人の気持ちを考えてまとめるのははじめてでとても難しかったです。内容を深めていくことでいろんなことがみつかったり、自分が質問されている時も新たな自分が発見できました。インタビューすることで相手がどんなことを思っていたり、相手の理想などたくさんのことが知れました。相手のことを知ることで部活内でもいろんなことが得られると思いました。

 

ソフトボール部員の色々なことが聞け、また本音を聞くことが出来て良かったと思います。コミュニケーションが取れて良かったです。これで上級生下級生の関係も良くなり、ソフトボールの成果が良くなると思います。

 

・Mさん(外部指導員の方)とペアでやってインタビューをした時に、知らなかったことを知れて、おもしろかった。いろんな人の発表を聞いて、そうだったんだ!って初知りをしたし、1年生のこたちではあんまり話したことがなかったので、このきかいがあってよかったです!

 

・あまり話せていなかったが先ぱいと今日を通して残りの部活の時間に話せたらいいです。インタビューゲームでは、答える方は少し難しかったけど、インタビューする方が難しかったです。今日一緒にやってたくさん話せるようになった先ぱい以外とも少しずつ話せるようになっていきたいです。

 

・先ぱいとか、まだ全然知らない人のことを知ることができました。インタビューゲームだと、楽しく聞いたり話したりできるので、深く考えずに知ってもらったりできます。少し答えにくかったり、質問の内容がなくなったりしたけど、最後は勢いでつくりました。自己紹介よりも話しやすいので簡単に相手に伝わるのがいいところだなと思いました。今度はちがう人ともやってみたいです。

 

・今日、インタビューゲームをして、このゲームをするといろいろな事を(相手の)知れるし、人見知りの人でも楽しくしゃべれるのでいいと思いました。そして、相手が自分の自己招会カードを書いて、自分がそれを読むことによって相手は私のことをこう思ってくれるんだな〜と分かることもあって良かったです。そして、話す自由と聞く自由があってきんちょうしなくて良かったと思います。

 

・今日のインタビューげーむでたくさん頭を使いました。質問を考えたりインタビューされてどう答えるかを考えたりしました。あまり自分のことについて考えたりしないので新鮮でした。後輩の子とあまり話したこともなかったし何が好きでどんな子なのかも知らなかったけどたくさん知ることもできたし、いろいろたくさんはなすことができてとても楽しかったです。

 

おわり。

中学校でのインタビューゲーム会を終えて

2017.06.12  【448日連続投稿】

 

先日、友人のボンちゃんこと井上太貴さんが部活動の顧問をされている中学校の女子ソフトボール部でインタビューゲーム会をさせて頂きました。

 

《インタビューゲームとは?》

インタビューゲームについて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ 

 

今までは、住まいのシェアハウス「サムハプ」で個人的にこじんまりとしたインタビューゲーム会を主催していましたが、これからは講師としてお呼ばれする機会が少しずつ増えていきそうです。サムハプでのインタビューゲーム会は、毎月とはいきませんが継続してやっていきます。

 

ボンちゃんとの事前の打ち合わせでは、私が詰めていくべき点としてこんなことがありました。

・インタビューゲームをただやるのではなく、「なんでインタビューゲームをやるのか?」ということを分かりやすく説明すること。→生徒に目的を示すこと。

 

・インタビューゲームを通じて何を伝えたいか?最後の落としどころをどこにするか?

 

・単発の会で、どうすれば中学生に伝えたいことを気づいてもらうか?

 

1ヶ月ほど準備期間がありましたので、何を伝えたいんだろうか?という所に目を向ける時間を多くとりました。過去のインタビューゲームの記事を読み漁ったり、コミュニケーションについての本を読み直したり、動画を見たりなどに時間をかけて、すぐに決めてしまわないようにしていました。

 

自分の中で、コンセプトができてきたのが1週間前でした。自分の中でテーマは「聞く・聴く・訊くがあるコミュニケーションを体験する」でした。(言葉は後で作りましたが、こんな感じをイメージしました。笑)

 

単発の会ということもあり、どうすればより深く体験してもらえるか、ということを考えたところ、普段は20分間のインタビューなのですが、前半10分間お互いにインタビュー→振り返り→後半10分間お互いにインタビューという流れにしました。

 

これは、おそらく質問が出なくて困るであろうことは予想がついたので、相手に質問を投げかけることが難しいことを自覚してもらったあとに、少し質問内容や質問の仕方を考える振り返りの時間を取り、その後残り10分間インタビューすることで少しでも聞くことを体験して欲しいという意図があります。

 

なんとか準備を整え当日にのぞみ、中学1〜3年の生徒と部活動の外部指導員の方を含め22人がご参加下さいました。

 

ボンちゃんの部活動の指導方針がボトムアップ式でチームで話し合うことが多くあるということを聞いてましたので、「今よりももっと深く話し合えたらもっといいチームになると思わない?」という所を切り口にオリエンテーションを行いました。

 

ペアの組み合わせについては、1年生が新しく正式に入部したばかりでちょうど10名いたので、1年生と2,3年生の組み合わせにしました。

 

ルールと注意事項を確認し、早速スタート。

はやり、前半の10分は質問に困っている様子でした。振り返りの時に「インタビューするとインタビューされるどっちが難しいと感じましたか?」と尋ねるとほぼ全員が「インタビューする方」だと答えていました。

その後はワークシートを使って、質問の内容を考えたり、私とボンちゃんがインタビューゲームをした時にボンちゃんが私の自己紹介を書いてくれたシートを読んでもらい、「どんな質問のしたか?どういう風に聞いていったのか?」と投げかけてみました。

 

何人かの生徒に聞いてみると、「なんで?という質問を繰り返しした」「一つのことをついて色んな質問をたくさんした」と気づいて欲しいことに気づいていました。

 

後半の10分で全員が上手くなったかというとそうではありません。ただ、聞く姿勢を意識しながらインタビューをしていたと私は感じました。

中にはとてもユニークな質問が生まれてました。

 「もしあなたが一万円札に写る人物になったら、どんな功績をしたからだと思う?」

「会社をつくるなら、どんな会社にしたい?」

などなど。

テーマに沿って聞いている生徒さんも何人もいました。

 

最後の相手の自己紹介文を書く作業は、はじめこそは多くの生徒が苦戦していたものの全員20分以内に完成できました。

中には、胸が熱くなってしまうようなものもあり、中学生の完成だからこその自己紹介文ができたと思います。

 

今回のインタビューゲーム会で、特に私にとってインタビューゲームで伝えたいことやコミュニケーションについてより一層深まったと思っているので、なにより私が一番得した気分でいます。

 

生徒さんから素敵な感想を頂きたので、また後日匿名でアップしたいと思います。

 

今回、私からやらせて欲しいというお願いをすんなりと受け入れてくださっりご協力頂いたボンちゃんこと井上先生には、本当に感謝しています。ありがとうございました。

 

もしインタビューゲームをやる機会を頂けるなら、どこにでも行きますので、よろしくお願い致します。

 

今後も、まだまだインタビューゲームを通じて色んなことが解ってきそうな予感しかありません。

 

おわり。

本日のつれづれ no.442 〜村上春樹さんの場合は「うなぎ」らしい(『先生はえらい』より)〜

2017.06.11  【447日連続投稿】

 

昨日、『先生はえらい』(著:内田樹)より

対話において語っているのは「第三者」です。

ということについて書きました。

 本日のつれづれ no.441 〜内田樹『先生はえらい』(前未来形で語られる過去)より〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

今日は、同書の中で、作家の村上春樹さんの場合は、その第三者が「うなぎ」というユニークな表現をされている部分があったので紹介したいと思います。元々は、『柴田元幸と9人の作家たち』(著:柴田元幸)から引用した一部です。

 

村上春樹:僕はいつも、小説というのは三者協議じゃなくちゃいけないというんですよ。

 

柴田元幸:三者協議?

 

村上春樹:三者協議。僕は「うなぎ説」というのを持っているんです。僕という書き手がいて、読者がいますよね。でもその二人だけじゃ、小説というのは成立しないんですよ。そこにうなぎが必要なんですよ。うなぎなるもの。

 

柴田元幸:はあ。

 

村上春樹:いや、べつにうなぎじゃなくてもいいんだけどね(笑)。たまたま僕の場合、うなぎなんです。なんでもいいんだけど、うなぎが好きだから。だから僕は、自分と読者との関係にうまくうなぎを呼び込んできて、僕とうなぎと読者で、三人で膝を付き合わせて、いろいろ話し合うわけですよ。そうすると、小説というのがうまく立ち上げってくるんです。(・・・)

 必要なんですよ、そういうのが。でもそういう発想がこれまでの既成の小説って、あんまりなかったような気がするな。みんな読者と作家とのあいだだけで。ある場合は批評家も入るかもしれないですけど、やりとりが行われていてそれで煮詰まっちゃうんですよね。そうすると「お文学」になっちゃう。 

 でも、三人いると、二人でわからなければ、「じゃあ、ちょっとうなぎに訊いてみようか」ということになります。するとうなぎが答えてくれるんだけど、おかげで謎がよけいに深まったりする。そういう感じで小説を書かないと、書いていても面白くないですよ(笑)。

 

ここで村上春樹さんがおっしゃる「うなぎ」というのは、昨日の記事でいう「第三者」のことなんです。自分と読者との関係を何度も何度も深めていくことで、うなぎという自分のようで自分ではない存在が生まれてきて、以前の自分とは別の視点に立って小説を書くことができるということなのではないかと思います。

 

それにしても、「うなぎ」というところを使うのがユニークですねぇ。

 

おわり。

本日のつれづれ no.441 〜内田樹『先生はえらい』(前未来形で語られる過去)より〜

2017.06.10  【446日連続投稿】(2016.03.22より起算)

 

最近、以前読んだことがある『先生はえらい』(著:内田樹)という本を読み直す機会がありました。この本は一見読みやすいように書いてあるんですが、書いてあることがよく分からないなぁと思う部分があります。約一年ぶりに読んでみると、以前分からなかった部分がスッと腹に落ちたので紹介しようと思います。

 

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

 

 「前未来形で語られる過去」の部分より抜粋(p.57〜62)

 

 じゃあ実際に、あなたが聞き手を前にして、過去を回想している場面を想像してみてください。「あのさ・・・」とあなたが過去の出来事を語り出しました。

 聞き手があなたにとってどうでもいい相手の場合を考えてみてください。

 どうですか?あなたの回想はあまり熱が入りませんね。だって、その人にどう思われようと、あまり関係ないから。

 そういう場合に、あなたが語って聞かせるのは、たいていこれまでに何十回も繰り返した「いつもの話」です。自慢話でも、笑い話でもいい。とにかくある種の効果があることが経験的にわかっているので、何度も使い古した「できあいの物語」。そういう話はいくら繰り返しても、あなた自身には何の発見もありません。テープレコーダーで同じ曲をエンドレスで繰り返しているようなものですからね。

 みなさんはまだあまり見聞する機会がないでしょうけれど、オフィス街の居酒屋にゆくと、カウンターで赤い顔をしたサラリーマンが話しているのは、八五%くらいがこの手の話です。こういう話を聞くのも話すのも、ほんとうは時間の無駄なんですけれど、そのことに気づいている人はあまり多くありません。

 

 それとは違って、あなたにとって特別にたいせつな人に向かって過去を回想する場合はどうなるでしょう?

 話のとっかかりはやはり「いつもの話」です。これはしかたありません。でも、話の展開は微妙に変わってきます。

 というのは、「いつもの話」のある箇所に来たとき、聴き手の反応がなんだかつまらなそうだなと、あなたはのあわてる出すからです。

 「お、こりゃまずい。受けていない・・・」と思うと、あなたはとりあえず話の修正を始めます。口調を変えたり、余計な部分をはしょったり、説明が足りないところを補ったり、具体例を挙げたり・・・いろいろと手を加えます(こういう努力は「どうでもいい相手」のときには節約するものです)。

 逆に、相手が乗ってきたら、「お、この話が受けるみたいだな。では・・・」というのでそこをどんどんふくらませてゆく。

 そうやって何十分か話した後、話を語り終えたとします。

 さて、この話を語ったのは誰でしょう?

 あなたでしょうか?

 なんだか違うような気がしますね。だって、たしかに語ったのはあなたなんですが、話し始める前に「こういう話をしよう」と予定していたあなたと、語り終えたあなたは、微妙に別人だからです。あなたは聞き手が「聴きたがっている話」を選択的にたどって、いつのまにかこんな話をしてしまってたわけです。

 では、この話を導いたのは「こんな話を聴きたい」と願った聴き手の側の願望なのでしょうか?

 これも違うような気がします。だって、「この人は、私からこんな話が聞きたがっているのではないか」と想像したのはあなたなんですから。

 つまり、あなたの話をここまでひっぱってきたのは、あなた自身がはじめに用意しておいた「言いたいこと」でもなく、聴き手の(「こんな話が聴きたい」という)欲望でもなく(だって、他人の心の中なんて、あなたにはわかるはずがないから)、あなたが「聴き手の欲望」だと思い込んでいたものの効果だということです。

 そういうものなんです。

 あなたが話したことは「あなたがあらかじめ話そうと用意しておいたこと」でも、「聴き手があらかじめ聴きたいと思ったこと」でもなく、あなたが「この人はこんな話を聴きたがっているのではないかと思ってたこと」によって創作された話なんです。

 奇妙に聞こえるかも知れませんが、この話を最後まで導いたのは、対話している二人の当事者のどちらでもなく、あるいは「合作」というものでもなく、そこに存在しないものなんです。

 二人の人間がまっすぐ向き合って、相手の気持ちを真剣に配慮しながら対話をしているとき、そこで話しているのは、二人のうちのどちらかでもないものなんです。

 対話において語っているのは「第三者」です。

 対話において第三者が語り出したとき、それが対話がいちばん白熱しているときです。言う気がなかったことばが、どんどんわき出るように口からあふれてくる。自分のものではないんだけれど、はじめてのかたちをとった「自分の思い」であるような、そんな奇妙な味わいのことばがあふれてくる。

 見知らぬ、しかし、懐かしいことば。

 そういうことばが口について出てくるとき、私たちは「自分はいまほんとうに言いたいことを言っている」という気分になります。

 

以前は、『対話において語っているのは「第三者」です。』ということが何を言っているのか全然分からなかったのですが、確かにそうだなって思います。

 

これをよく解るには「対話」ということから知る必要があったんだなぁと思います。

そもそも対話というのは、お互いの考えをぶつけるにとどまらず、互いの考えを受け入れ、変化していくことを対話というのだと私は最近思っています。

 

相手のおかげで変化していく自分は、もはや対話の前の自分ではありません。だから対話において語ってるのは「第三者」なのです。既存の自分の考えてはなく、今まで話し言葉としては存在していなかったけど、言葉になっていなかった思いや考えが相手のおかげで言葉になるから、自分のものではないようだけども、しっくりくる言葉が口から生まれるってことなんだろうな。

 

だから、そういう時がほんとの「言いたいことを言う」って瞬間なんだとビビっときています。そう考えると、言いたいことを知るってことすら自分一人ではなかなか難しいことなんですね。

 

おわり。