名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.700 〜門出の季節ですねぇ〜

2018.03.10  【716日連続投稿】

 

今日は、シェアハウス「サムハプ」で2年4ヶ月一緒に住んだ坂田智哉さんの門出を祝う会でした。

 

楽しい時間をただただ過ごす。

何の意味が目的もない時間をただ楽しく過ごす。

そんな時間が愛おしいと思います。

 

2週間後には新メンバーがやってきます。

サムハプシーズン3の開幕は目の前です。

その前に、今住んでいる人との時間を大切にしていきたいです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.699 〜食が体の九割をつくっている?〜

2018.03.09  【715日連続投稿】

 

今日、生徒から「どうすれば痩せますか?」と質問されてときに、

 

「体をつくることについては、食が9割を占めていると思うから、食を見直したらどうだい?」

 

と答えました。

 

その生徒は「ギクッ」とした感じで食が疎かになっているのに気づいた様子でした。

 

でも、肝心な私が「なぜ食が大事なのか?」ということをまだまだ認識が浅いのだと感じています。

 

 日常の手間をできるだけ省く、買ったもので間に合わせようとすることへの、本当の意味での歯止めとは、人間にとって食とは何かということから考えることなのです。それはただ単に身体的な、栄養的な問題ではありません。食とは何かを考え、どのように食べるかということを考えることは、人間としての魂をいかに育てるかということと深くつながっているのです。そこまで考えなくてはいけない。

 食とは呼吸と等しく、生命の仕組みに組み込まれているものです、これは厳然たる事実です。ですからそれに抗ったり、即して歩かないと、自然律に反してしまう。その結果、ある日、足元から崩れるのです。

 

辰巳芳子『「年中行事」ということ』-味覚旬月-より

 

おわり。

本日のつれづれ no.699 〜自己本位という境地(夏目漱石)〜

2018.03.08  【714日連続投稿】

 

・・・ああここに俺の進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう完投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安ずることができるのでしょう。〈中略〉もし途中で霧か靄のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。〈中略〉だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここに俺の尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることができるようになると思うから申し上げるのです。

 

夏目漱石『私の個人主義ほか』「私の個人主義」より

 

何か迷ったり、モヤモヤしたりすることが自分の人生を生きるヒントとなる。

一時的な安心や相手と比べることでしか得られない自信を持つよりも、ぐっと霧の中を突っ走った先にあるものを見るときに得た安心と自信が本当に人生の役に立つものだろう。

中途半端が一番いかんっってことですね。

 

おわり。

本日のつれづれ no.698 〜卒業した生徒から教えてもらったこと〜

2018.03.07  【713日連続投稿】

 

今日は、私が勤めている特別支援学校の卒業式でした。

2年間関わっていた生徒が巣立っていきました。

 

最後、生徒に何を話そうかなぁと考えた時に思ったのが、「当たり前のことをやり続けること」「日常こそ本番」ということでした。

 

これらは、私が生徒から学んだことでした。毎日自分が決めてやっている生徒を毎日観て、変わらないような毎日に楽しさや喜びを見出している生徒を観て、思ったことです。

 

そのことをみんなを観て、学びました。

ありがとう。

 

バタバタし過ぎて、ちゃんと伝えられなかったけど、いつもの関わりの中で大切にしていたことでもあります。

 

皆さん、卒業おめでとう㊗️

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.697 〜予想してないことが起きるから感動する〜

2018.03.06  【712日連続投稿】

 

感動って予想や想像ができないことが起きるから生じるものなんじゃないかと思う。

いや、予想や想像できても感動するよっていう人もいるとは思うんだけども、私はそうじゃないなって思う。

 

 予想や想像するっていうことは、たしかに必要なことではあるんだけども、人に対する先入観になっては自らを縛る枷となる。

そんなことを今日、感動したことをきっかけに思いました。

感動話は、書く体力がないので省かせて頂きます。

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.696 〜「労働」の併せ持つ二面性〜

2018.03.05  【711日連続投稿】

 

 ・・・したがって、労働の労苦と努力を完全に取り除くことは、ただ生物学的生命からその最も自然な快楽を奪うことになるだけではなく、特殊に人間的な生活からその活力と生命力そのものをも奪うことになる。苦痛と努力は、生命力そのものを別に損なうことなしに取り去ることのできる単なる症候ではない。これが人間の条件なのである。つまり、苦痛と努力は、むしろ、生命そのものが、生命を拘束している必要とともに、自ら感じとる様式である。だから死すべき人間にとって、「神々の安楽な生活」は、むしろ生なき生活であろう。

〈中略〉

・・・富者の生活では活力が失われ、自然の「よき物」にたいする密接な関係が失われる一方、逆に、世界の美しいものに対する洗練された感受性が得られる。このことはこれまでにもしばしば認められてきた。事実を言えば、世界における人間の生命力は、一方で、生命そのものの過程を超越して、そこから遠ざかろうとする能力を常に含んでいる。ところが、他方、活力と生命力は、人間が進んで生命の労苦と困難という重荷を自ら背負う限りでのみ保持できるのである。

 このように人間には、「労働」というものを軽視すべきものとして、なるべく避けようとする傾向と。逆に「労働」のよって生命の喜びが得られる傾向とがあり、この両者を併せ持つややこしいところがあるのです。

 「労働」というものが抱えるジレンマは、人間というものが、動物であり、かつ他の動物と決定的に異なり、文化を生み出し必要とする存在であるという、互いに相容れない二面性を併せ持つことからきているのだと考えられます。

 

泉谷閑示『仕事なんて生きがいにするな』p.70〜72

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.695 〜言葉に正解なんてない〜

2018.03.04  【710日連続投稿】

 

今日は、今池にあるお洒落なカフェに行ってきました。

 

隠れ屋的な外装で中は、落ち着いた内装で少し暗く大人な雰囲気を漂わせたお店でした。

 

テーブルに真っ白なテーブルクロスがかけられていました。

座り心地いい椅子に座ると、立った状態で15分程待った体が喜んでいるのを感じました。

 

メニュー表を手にとってみると、その下のテーブルクロスが少し黒い染みがありました。対して気にしていなかったのですが、お水を運んでくれたウェイターさんが染みを見つけると、おしぼりで拭いてくださいましたが、真っ白にはなりませんでした。

 

立ち去る際に、

「力及ばず申し訳ありませんでした」と一言。

 

この言葉を聞いて、言葉の選択の良さといいますか、響きがいいといいますか。

私の中で好感が生まれました。

染みがなくなり真っ白なテーブルクロスを見るよりも、なんだかこっちの方が好きだなぁって思ったのです。

 

その時その場所その人が発する言葉っていうのは、常に正解なんてなくて言った結果あれこれ思ったり感じたりさるものなのかもしれないと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.694 〜心は私と誰か(何か)の間に生じる〜

2018.03.03  【709日連続投稿】

 

約一年前に書いた記事です。

http://hiro22yasu13.hatenablog.com/entry/2017/03/03/233027

 

「忙しい」という漢字は心を亡くすと書きますが、どんなに忙しくても心はあるし、そもそも心って何だろう?

ということを書きました。

 

約一年経った今、心について思うのは、「私と誰か(もしくは何か)の狭間に生じるもの」じゃないかということです。

 

自分の周りが変化するからこそ、心は変化してゆきますし、誰ともまたは何とも関わらずに生きていくことなんてあり得ないわけですから、必ず心は変化してゆきます。

 

「なんだか、思い通りにならない」

そんな時は、全ての要因が自分にあるとも相手にあるとも思わず、自分の変えられる部分はどこか。変えられないであろう部分はどこか。これを知ることは大切ではないか。

自分と誰か(何か)から心は生じているならこそ。

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.693 〜超訳 吉田松陰 『覚悟の磨き方』-腹が据わっている人のおまじない-〜

2018.03.02  【708日連続投稿】

 

腹が据わっている人のおまじない

 

「一生やり続ける」

すごくシンプルですが、

これほど多くを語る言葉もありません。

 

みだらな誘惑、未知の物事に対する恐怖、手軽な安心感、どれも乗り越えることができるのは、「一生やり続ける」この言葉が

背骨に叩き込まれている人だけです。

 

超訳:吉田松陰 『覚悟の磨き方』p.112

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.692 〜関係性は変容していく〜

2018.03.01  【707日連続投稿】


 他人との関係性について最近書いていることが多いかなと個人的には思っています。昨日の記事では、目上の人に物申すときに、いい関係性をつくっていると言えたり、関係性がよくないとなかなか言えないことがあると書きました。確かに、この人には「言えないな」(言いづらいな)「聞けないな」(聞きづらいな)というのは私自身感じる時があります。
 しかし、人との関係性って不変ではなく変容していくものです。だから、関係性がつくられるのには時間がかかることがあるんじゃないかなと思います。
それに気付いたのは、職場での人との関わりが少しずつでも変化しているかもしれないと感じたことがあったからです。
 職場の休憩時間では、しばしばお菓子をもらうことがあります。もらいすぎて職場では食べきれないから、家に持って帰るなんて時もあります。今週の火曜日に、私の席の目の前に先生がイチゴ味のアルフォートをくれました。以前にもらったことがあるなと思いながら「ありがとうございます!」と伝えたら、「この前、廣安先生が珍しく『これは美味しい!!!』っ言ってたから、また買っちゃったよ」と言われました。確かに言ってような言ってないような曖昧にしか覚えていませんでしたが、その先生は外の先生に配るときに「廣安先生、一押しだよ」なんて言って渡すので、なんだか恥ずかしくなってきました。
 恥ずかしくなったので、「そんなに廣安効果ありますか?(廣安が美味しいと言ってたと伝えることが効果ありますか?)」と聞いてみました。
すると、「普段はあんまりテンション上がったり、自分から主張するみたいなことないから、相当美味しかったんだろうなって思ったから。」と言われました。

 なるほど。その先生には私は「あんまり素直なそのままの感情(楽しい、嬉しい、美味しい、悲しい)を表に出さない人」だと思われてるんだなぁと思いました。
でも、気軽に話せる人とは結構、抽象的に思ったことを言ってしまうこともあるので、その先生との関係が緩んできたのかもしれないです。
 その先生とは、同じ学年の副担同士と言う関係で、よく仕事の会話はしますが、そういう世間話的なことはそれほどしません。仕事上でありながらも、色々なことを連携して助けてもらっているうちでも、自然と関係性は変わっているのだろうと思ったエピソードでした。
それにしても、アルフォートのイチゴ味は美味しいです。

 

おわり。