名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.83 〜立ちなさい〜

2016.4.24

今日は、通年で受講しているコーチング講座の第3回目でした。

その中でやったワークの1つでかなり学んだものがありました。

相手に想いを届けるとは?

相手に与えるとは?

相手に伝えるとは?

そんなことを考えさせられました。

このワークでは、その人のライフスタイルが表れるみたいです。

僕はこの意味を体感しました。

ワークが成功した時、中学生の自分が蘇ってきました。

どんな自分かと言うと、サッカー部ののキャプテンとして号令をしている自分でした。

「気をつけ、礼」

これをとにかく全力でやっていた。

最初は顧問の先生が厳しかったからしていたのもあるけど、

僕らは、あいさつでも日本一を目指していた。

だから、僕の号令も日本一じゃないといけないと思っていた。

カッコよさは微塵もないただ全力の号令。

相手チームに笑われ、チームメイトからも笑われた。笑

どうやら、僕は全力で号令すると左に大きく傾くらしい。笑

なんでこんなに大切なこと今まで忘れてたんだろう?
まさに、自分の大切な部分を作った行動だった。

高校生になると恥ずかしいと思ってしまう。

そこからいつの間にか自分のMAXの力に上限かけてたのかもなって思った。



ワークは全力でやった結果、成功して、達成感もあったけど
これでいいの???って感覚があった。

僕が今目指している方向性とは異なる方向性だったからだと思っている。

相手に
自分のおかげで人生を変わりました。
自分のおかげでできないことができるようになりました。

これはこれで素敵なことなんだけど、
依存が生まれるんじゃないか?
本当に相手が自身で人生を歩むためにやってることなの?
と思ってしまった。

僕は自分の力でできるようになったというより、

人生が変わったのは、
あなた自身が選んだから。
できるようになったのは、
あなたに元々能力があったから。

そういうスタンスでいたい。

大きい声じゃなくても、
涙を流さなくても、
本当に伝えられる人は伝えられる。

そういう人になっていきたいと思う。

でも、今回のワークで相手に与えるって

こうしないと届かないってことを知ったのは本当に大きい。

自分の中に恥や迷いがあってはダメ。

ベクトルが自分ではなく、相手に向いているか?

明日から早速実践だ!
また1週間が始まるが楽しみで仕方ない。

おわり。