2016.07.12 【113日連続投稿】
学ぶというのは有用な技術や知識を教えてもらうことではありません。
だって、シューマッハにアクセルワークを習った時に、あなたは彼が何を言っているかぜんぜんわからなかったはずだからです。
言ってることが、むずかしすぎて。
何を言っているのか、ぜんぜんわからなかったにもかかわらず、というか、なにをいっているのかぜんぜんわからなかったがゆえに、あなたは彼から本質的なことを学ぶことができたのです。
私は先に、プロの人ならこういうことは決まっていると書きました。
それは、「技術に完成はない」と「完璧を逸する仕方において創造性はある」です。
この二つが「学ぶ」ということの核心にある事実です。
ことばはむずかしいですけれど、これは恋愛とまったく同じなんです。
「恋愛に終わりはない」そして、「失敗する仕方において私たちは独創性を発揮する」。
『先生はえらい』 著:内田樹
学ぶということは意味がわからないからはじまる。
予め、これは分かりそうだということは学びではない。
教えることは学び手が何を学ぶかを決めることはできない。
学び手も何を学び取るのかは、学んでみないと分からない。
でも、分からないからこそ学ぶのだと思う。
教師が教えて教えた通りの学びができないことで評価するってことを斜めに見る感覚を忘れずに、
常に違和感を持っていよう。
そして、学び続けることをただ淡々とやっていこう。
おわり。