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名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.183 〜他人の気付きをありがたく拝借させて頂きます〜

2016.08.26  【157日連続投稿】

 

毎日ブログを書いていると何を書いたらいいんだ?

何も浮かんでこないぞ...

という日もあります。

 

そんな時は、「他人の気付きをありがたく頂いております」。

 

パクリ、便乗、拝借を大いにやってます。

 

今日の記事もこちからのブログを読んで、これが今の自分にとって1番の学びだと思ったのでありがたく拝借させて頂いております。

自分の気づき=他人の気づき | 往来物手習い

 

心のどこかで自分にしか書けないことを書きたい。

他人に「いや〜さすがだねぇ」「深いこと書くね〜」とか言われたい欲みたいのがあるなと感じる時がある。

変なプライドがある時がある。

そういう時に限って何も浮かばない。

 

そもそも自分ではこれは自分しか気づいてないと思っても、誰かも気づいてる可能性もあるしね。

それはただの自己満足でしかない。

もしかしたら、自分で満足をしたいのかもしれない。

 

だったら、他人の気付きをありがたく拝借させて頂けばいいんじゃないのか?

内容は読む人にとっては同じかもしれない。

でも、あの人が言うのと、私が言うのでは違って聞こえることってあると思うんだ。

 

言葉を一つ一つとっても全く一緒の文章にはならないし、他人の気付きから自分の気付きを書けば別のもの。

 

誰かの気づきを他の誰かが受け取って、さらに次へ受け継いでいく。

学問は本来そういうもののような気がする。

 

自分で気づくより誰かの気付きをもらう方が早い。

そこから自分で深めていく。

そして、後世に繋げる。

 

後世に繋がるような気付きや学びこそが価値あるもの。

 

自分で深めていくってところがかなり忍耐と時間が必要かもしれないけど、

〇〇のために学ぶのではなく、学ぶために学ぶことを忘れなければ大丈夫。

 

何かの評価軸でつい考えてしまいがちだが、それは1つの軸でしかない。

それに気づけば、もっと楽に生きていける気がする。

 

でも、色んな軸があるからこそ自分で決めることの難しさを生んでしまっている要素もあるけどね。

 

今日は他人の気付きをありがたく拝借している自分を見つめてみました。

 

おわり。