2017.01.05 【290日連続投稿】
日々ふと思ったことやすぐ流れ去ってしまうようなことを書いている「本日のつれづれ」が昨日で300記事書いたんだと気付きました。
2015年8月11日からアメブロでスタートしましたが、できない日も多々ありました。最初は書くならちゃんとしたものを書かなければならないと思っていましたが、できなくても書こうとするうちに何を書いてもいいと思うようになりました。今でも、何を書いてもいいと思いつつ、これは書けないとかジャッジしている自分が常にいます。
その判断している自分について書いたりと、できなかったり、行き詰まった時にこそ書くことが溢れて来たりするものだなぁと思っています。
300記事ありますが、その時その時の自分がよく表れている内容になっていると見返すと実感します。
最近は、「書くことは生きた証を残すこと」とも言えるんじゃないかと思うようになってきました。
過去の記事は自分が化石として残っているように感じなくもありません。
今まさに書いていることが考現学と言うなら、過去の記事を読んで過去の自分を知らことは、考古学と言えるんじゃないかと思います。
自分が書いたものであるから、書いてある内容以上に伝わってくることがあるのかもしれません。
日々書いたものを続けた感覚もないです。ただ一日一日完結したものが300個連なっているような感覚です。(そもそも300日続いていないものありますが)
最近は、わざわざ書くための時間を取らなくても電車での移動時間などに書き上げることが多くなってきました。それだけ、ふと思っただけの思考を書き留めるまでスッと行えるようになったということなのかもしれません。
周りからは、「よく続いてるよね〜」と言われますが、続ける事よりたくさんのことが「本日のつれづれ」(考現学)には詰まっていると書く度に思います。
ちょうどいい節目だったので少し振り返ってみました。
おわり。