名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.308 〜決めることは正解じゃなきゃダメ?〜

2017.01.12  【297日連続投稿】

 

仕事帰りの電車の中で今日一日を振り返ったいるのですが、ブログを書くと決めているからできるのだと思いました。

 

決めてなかったら、寝たり、本読んだり、ボーッとスマホいじったりしているのだろうと思います。

 

気分が良くても悪くてもやることの価値の一つだと思いました。

 

見たくないことに目をつむるのではなく、ただ見れば自然と変化していくことに書くことを通して経験しました。

その経験が、書くことへのこだわりや躊躇などを取っ払ってくれていると感じています。

 

 仕事をしているという日々選択すること、決めることを迫られていると感じやすいなぁと思います。仕事以外でも選択や決定をしていますが、仕事の場面ではそれを感じやすいです。

 

仕事で決めることは、一人で決めることより複数人で決めることの方が難しいと思っています。人が関わる人数分の考え方や捉え方があると思うからです。全く噛み合ってないと思うこともよくあります。大体の仕事上での問題は、対人関係だろうなと思いますが、自分のことをよく知っていないことには、対人関係は良くなんないんだろうなと思います。自分がどんなことに囚われているのか?自分に問いかけることができる人はなかなかいません。

 

自分に価値があると思うことと自分は正しいと思うことは違います。しかし、ついついそこが混同してしまう時もあるのではないかと思う時がしばしばあります。私自身もそういうことがありますから。

 

仕事をしていたら、目の前の課題を凝視してしまいがちだからこそ、ふと「そもそもこれってどういうことなのか?」と根本を考える時間って大切なんだと思います。

 

そうすると、目的と手法が逆転してることに気づいたり、そんなに拘ることではないことに気付いたりするのではなのではなかろうかと思うのです。

 

決めることは、絶対的な正解があるか分からない中で、これなら良いだろうと思う思えることを探すようなことのような気がします。

無意識的に決めたことが必ずしも正解でなければならないと思い込みがちではないだろうか。教育の仕事をしている私にとって、失敗できない・失敗はよくないと思い込んでいる大人が子どもに失敗してもいいんだよ〜と言ってると状況を想像すると違和感がある。

 

とっさに、昨日ある授業で先生が言ってました。「失敗することは問題ではありません。でも、同じ失敗を繰り返すのに何も考えずに失敗することは問題があります」

その時は、いいこと言うなぁ〜と思いましたが、実際にこの言葉が生徒の腹に落ちるかどうかは、先生の普段の在り方次第だなぁと思います。

 

決めることは柔らかさと固さ、拡散と収束を繰り返しおこなっていると感じています。

最近は、ファシリテーションと言う便利な手法があるけれど、手法に囚われては上手くいかない気がします。

 

それ手法以上にもっと影響があることがあるはずなんだと思います。

自分の枠にハマっていることすら気付かずに、いると迷宮に迷い込みます。自分が作り出した迷宮なのに、迷い込む。

 

迷っていることに気付かせてくれるのは、他者の存在です。枠を広げあることで、目の前の景色は大きく変わると思っています。

 

枠の存在に気付くことが改めて大切だなぁと思いました。

 

どんな他者も自分の見方次第で味方なのかもしれません。

 

おわり