名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.312 〜教師に対しての捉え方が増えました〜

2017.01.19  【304日連続投稿】

 

日本で教師をするということは、色んな制限や枠が多方面からある中で、いかに子どもを観て成長させるかという職業の様な印象が今はしています。

 

子どもが知らないところで、

親が知らないところで、

教師でない人が知らないところで、

教師は、かなりの時間と労力を費やし、子どもと過ごせる限られた時間のために準備を行なっています。

どの職業も立場が異なるところからは見えないところで準備をしているのは全く同じだと思いますが、教師も例外なくかなりの準備をしていると感じています。

 

現場に入ってみて意外だったことの一つとして会議がたくさんあることでした。

本日の会議では、まだまだ浅はかな知識しかない私にとっては聴くだけで精一杯でした。といっても会議の時はほとんど聴くだけで、学ばせて頂いている感じです。

 

本日の会議で、ある先生の印象に残った一言から思ったこと。

「教師は、国や管理職の決定事項に従った上で、子どもと接しなければならない。しかし、現場で子どもに接するからこそ、主体性を持つことが大切。国や管理職の決定事項なら対して鵜呑みにする様な受け身にならず、一つ一つ吟味すること。制度と現場が離れていっては、現場が困る。教師ができる範囲を知った上で、子どもに接する。子どもと過ごす時間は限られているし、一人一人に費やせる時間も限られているのだから。」

 

教師はいろんなしがらみがある中で働いているが、できることが限られているからこそ、主体的である必要があると思いました。

 

決められて変えようのないことを受け入れ、できる範囲の中で、最大限の価値を生むことをする教師という職にただただ「凄い」と思ってしまいました。

 

子どものことを真剣に語ってる教師の姿はかっこいいと感じます。

 

世の中には「学校の先生は、社会のことを知らない」とか教師の現状に対して批判的な声もあるが、そんなこと取るに足らないと感じてしまいました。

 

実際には見えないところでの準備は、間違いなく生徒や保護者は感じ取るんだろうなと思います。むしろ、そこを意識されている教師は入念な準備をされていると感じます 。

 

どうも僕は学校を卒業して社会に出て行く子は、必ずしも教師にならないのだから社会の色んなことを知っていなければならないと思い込んでいました。でも、社会の色んなことってなんだろう?その問いを持った時に、色んなことを知ることは「その子の可能性を広げてあげるために」という大義名分で、してることがむしろこちら側が、生徒の可能性を決めつけてしまっている行為なもかもしれないと思いました。。色んな知識を満遍なく知っている人よりも、世の中のことをそんなに知らなくても、学校内で起こる色んなことに疑問を持ち、自分事として考えるような人の方が僕は魅力的に思えました。自分の身近な周りに起こることを自分事として生きることが、大人だと思いました。

 

とにかく、今日は教師に対しての捉え方・視点が増えました。そして、今後ずっと教師やるかに関係なく、もっと今の学校現場で楽しく働くために勉強しよかなと思いました。

 

おわり。