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名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

読物つれづれ no.2 〜自分の仕事をつくる〜

読物つれづれ

2017.02.07   【323日連続投稿】

 

2017年2冊目の本は、『自分の仕事をつくる』 著:西村 佳哲(働き方研究家)

 

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

 

この本と出会ったのは、ちょうど一年前くらいだろうか。

 

大学卒業後の進路決めず、フラフラとしていた頃です。

 

その時期に、名古屋で行われたシゴトバーのプレイベントに参加しました。

 

その時の「生きるように働く仕事を独自の取材の元にwebで求人広告をしている『日本仕事百貨』」を知り、日本仕事百貨を立ち上げている中村健太さんの講演を聞いたことがきっかけです。

 

よろしければ、日本仕事百貨をご覧ください

     ↓↓↓↓↓

日本仕事百貨

  

中村さんは、大学で建築を学ばれた後に一般企業に就職。その後起業されるのですが、起業する前そして後にも「何かふと立ち止まる時には、『自分の仕事をつくる』と言う本を読み返していた」と話されたことがこの本との出会いです。

 

この本を読んでみようと思ったのは、当時の私が中村健太さんに惹かれ日本仕事百貨でやりたい仕事を見つけたことが影響しているのかもしれません。(やりたい仕事にはつけませんでしたが。)

 

後日、本を購入し読み始めましたが、50ページ程読んで読むのをやめてしまいました。

おそらく、当時求めていたことが書かれたいなかったからなのでしょう。

当時は、アウトローな感じやカッコいい仕事に就きたいと心中で思っていた部分もあり「自分で仕事をつくる」というタイトルから今の自分でも何か新しいことを始めるヒントになるようなことを求めていたのだと思います。

当時の僕には、未熟すぎて作者の言いたいことが分からず、ちっとも入ってきませんでした。

 

1年ほど本棚から出すことがなかったに再び読むきっかけになったのが、週に1回通っている寺子屋塾にこの本が机の上にポツンと置いてあったからだと思います。

なんだか少し懐かしさもあってパラパラと読み始めると、すっかり読み入ってしまっていました。以前は読むことが苦痛くらいの本で距離を置いていたのに、大切なことが詰まっている本だと今は思います。

 

大切なことがありすぎますが、最後のあとがきが最も私にとって心刺さる部分だったので引用させて頂きます。

 

 〜中略〜

 

 話が少し脇道にそれるが、自分は妻と小さなデザイン事務所をひらいていて、企業や自治体などから相談いただいて進める、いわば請け負い仕事と、誰から頼まれるわけでもなく自分たちで思い付いて、形にして販売までするメーカーポジションの仕事の両方を手がけている。その傍で大学でデザインを教えていて、授業で学生たちにプロジェクトを紹介すると、「好きなことやって食っていけるんですか?」という質問に出会うことが、ままある。

 もし、そこで「食っていける」と答え、その約束を取り付けてたら、彼らは好きなことをして生きてゆくのだろうか?というツッコミを脇に置いて、それより彼らに戻したくなるのは、「単に好きなことをやってるわけじゃない」ということ、「他の人と共有できる予感があるから形にできるんだ」という、自分の立ち位置である。

 ところで、出版からだいぶ年月の経ったある日、一通のメールが届いた。数年前まで美術大学で学び、その後グラフィックデザインの仕事を経て、現在はライターやイラストレーターとして働いているという人からのもの。つい最近、『自分の仕事をつくる』を読み、励まされると同時に、共感できない部分があったのでお伝えしたいというお便りだった。

  ーーーどんなにダメなテレビ番組でも、一生懸命作っている人がいます。それは「手の込んだ」というよりは、もっと消極的な「この範囲内でベストの」という類の仕事かもしれません。

 でも、その仕事をしたその人本人には責任があるとは思えない。そうしなければ成り立たない、どうしようもない状況があるからです。

 そういう背景には言及せずに、「広告の多い雑誌が駄目で、手の込んだコーヒーカップがいい」というのは、あまりに紋切り型な対比だと思います。まえがきを読んでわたしは悲しくなり、くやしく思いました。

 わたしは今、週刊誌で多く仕事をさせてもらっています。

 もちろん、大学で学んだような、いわゆる「いい仕事」ではありません。どうでもいい記事、ひょっとすると害になりそうな記事だって多く書きます。どうでもいいイラストを、物凄いタイトな進行で要求されます。ほんとうだったら、どんなにくだらない内容でも、たっぷり時間をかけたいというのが本音です。

 でも、そうできない現実があります。原因の一つは出版業界の不況だったりする。あるいは読者があまりにも安易な情報を求めていて、それを与えないと読まれないという現実があったりします。あるいは、編集長やクライアントや芸能事務所の「意向」や、先輩の不機嫌のせいだったりします。

 でもそういう不利な状況の中で、多くのライターや編集者は一生懸命ものづくりをしています。決して「この程度でいいや」という姿勢ではありません。せめて、ちょっとでも面白い記事を作ろうと頑張っています。風潮を変えようと、四苦八苦している人だっています。

 それを、有名デザイナーの仕事ぶりと対比され、批判されるのは悲しいことです。

 もしあの本に、「こんなもんでもいいでしょ」な広告ばかりを作っているデザイナーや、「こんなもんでいいでしょ」な雑誌ばっかりを作っている編集者や、風俗嬢や、掃除のおばさんのインタヴューがあったら、納得できたかもしれません。でも、そんな仕事についている人の話は一つもありませんでした。

 どうか、駄目な仕事を批判しないでください。ーーー

部分抜粋だが、ご本人の承諾をいただき、ほぼ原文のまま転載した。

 僕はこのお便りを読み、とても感じることがあったので、次のような返信を送らせていただいた。この人からのメールを全文掲載していないので、脈絡がわかりにくい部分もあるかもしれない。ご容赦ください。

ーーー西村佳哲です。お便りありがとうございます。

 いただいたメール、嬉しく拝読しました。感想のメールは時々受けとりますが、このような対決型の申し立てが届くことはまれです。

 最後の部分に「コーヒー豆を延々と栽培しなければならない仕事と、それに携わっている人を、誰が責められるか」と書いていますね。

 まったくその通りだと思います。

 あなたはそこに、仕事上のご自身の有り様を重ている。訴えたいのは、どんな仕事であっても、それに心血を注ぐことには尊さがあるということでしょうか。僕はそう受けとりました。そして、同感です。

 あの本を読んで「きれいな話ばっかり!」と反発を感じる人。それを表明してくる人は、何人かいました。僕には見えていない方々を含めれば、そんな感覚を持った人は多々いるだろうと想像します。

 そもそも、自分の憧れの人たちの働き方を知りたくて始めた取材群でしたし、感じ・考えたことをより強く伝えたいという気持ちがから、世の中で働いている人々が否応なく抱えている現実の、「それを言われると困ってしまう」ような弱い部分に、少し踏み込んだ書き口をとっている側面もある。読み返してみると、そういうところは嫌らしいなと思います。

 あの本で僕がなんとしても言葉にしたかったのは、広告貢の多い雑誌や水増しされたテレビ番組は良くないということではなく、「こんなもんでいい」というような、他人を軽く疎んじる働き方は、人間を互いに傷つけるということでした。

 他人を疎んじることは、自分をも疎んじない限り出来ないことですから、そのような働き方を通じて、結局は自己疎外の連鎖が深まってゆきます。その人がそこに「いる」感じのしない働き手や仕事が、世の中で増えてゆく。それは僕には耐え難いことです。

 たとえばあなたが、仕事の現場でどんなものをつくろうと、そこに本人による本人の疎外がない限り、僕はそれを人間の仕事として受容します。

 しかし、自己疎外の度合いが強いと、それは仕事というよりただの労働になってしまう。ただの労働の中でも、心血を注いでいる人はいると思いますが、僕はここで書いてある「労働」には、自分の気持ちや感情を度外視して働くことを指すニュアンスがあります。それはちょっとどうかな、と思うわけです。

 仕事という言葉は、「稼ぎ」や「つとめ」という言葉で語られることもあります。後者は、自分が属している世界に責任を果たすということです。

 つとめとして働く只中では、一時的に自分の気持ちをおさえたり・ひかえたり・膨らんでくる感情を殺さないと機能できないような瞬間が、当然のように混じるでしょう。このような胆力の有無は、人の成熟を示すものでもあると思う。

 しかしやはり、自分をいかして生きてゆくことこそ、一人ひとりの人間の仕事だろうと僕は思うので、できれば殺さないで欲しいという気持ちがあります。

 どんな仕事でも、本人の現場で一所懸命に働いている人には、かけがいのない尊さがある。イラクに派兵されたアメリカ兵の中にも、ベストを尽くしている人は多々いるでしょう。人間性が必要とされないような極限的な現場で、でも人間的であろうとする人たちは戦場に限らず、無数にいると思う。

 一所懸命にやっている人、生きている人を責める気はない。しかし、人間を粗末に扱ってる人間がいることは頭に来る。

 ベストを尽くして記事を書いている人を責める気はない。が、広告媒体として雑誌を発刊し、安い人件費で働いてくれる編集者や、都合のいいネタを提供してくれる人をある意味搾取している人間がいることは、頭に来るわけです。僕の憤りは後者の方に向けられています。

 と同時に、これは本当に余計なお世話なんですが、前者に対しても「それでいいの?」という想いは出てくる。

 与えられた仕事に疑問はあるが、でもやらざるを得ない状況に立たされている・・・という人たちは、不利な取引をしています。

 たとえばイラク派兵でいうと、アメリカでは軍隊が、大学で学びたい優秀な若者を対象とする奨学制度を設けています。学費は全額支給+奨学金数百ドルで、引き換えに軍事への参加が義務付けられているらしい。軍人教育を目的とした制度なので、そもそも看板に偽りはないのですが、非常事態時には在学中でも召集される。

 「でもやらざるを得ない」という状況に立たされる人は、なんらかの人質をとられています。あるいは暗黙の契約を交わしている。

 最近の日本でいえば、ワーキングプアーや、派遣労働をめぐる問題が取りざたされていますよね。

 しかし、たとえば都会に固執しないで地方へいけば、人間的な仕事はまだいくらでもあるというのが僕の実感です。かっこいい仕事ではなく賃料も低いかもしれないけど、ハローワークに募集掲示がないわけじゃないし、労働搾取的な案件ばかりでもない。お金がないと何も手に入れることができないという思い込みについても、それを手放すことで、あるゲームから降りることができる。

 

 あの本では「いい仕事」をしているデザインやものづくりの先達の、余裕ある働きっぷりが目立っているかもしれません。でもどんな人にも、その人となりの切実な現実はある。そしてその現実を選択しているのは、いつもその人自身だと思うんです。

 たとえばトップデザイナーと呼ばれているような人たちは、すごい華やかに見えるだろうし、力を持っているように見えるかもしれません。実際、素晴らしい力能と運と条件を持ってる側面も、ないとは言えないんじゃないか。

 いずれにしれも、自分をどこで・どういかして生きていくかということは、その人自身の手元にあると思うのです。ーーー

後半部分に多少手を加えたが、これもほぼ原文通りである。

 

著者の価値観とその通りにはいかないという価値観が混ざりながらも、自分の人生は常に自分が主役であることを忘れないで自分がより生き生きと生きられる場所にいることができるという想いが込められていました。

 

どれだけ周りから「いい仕事だ」と言われなくても、本人が自らの仕事を自分事としているのであればそれは立派な「いい仕事」と言えるかもしれないと思いました。

 

続編の『自分をいかして生きる』を読むのが楽しみです。

自分をいかして生きる (ちくま文庫)

 

おわり。