2017.03.15 【359日連続投稿】
そういえば、先日久しぶりにらくだプリントをやらなかった日がありました。
先週の3月10日(金曜日)にやりませんでした。
やろうやろうと思っていましたが、できそうな機会が訪れる度に「やらない」と判断していました。
2017年は、欠かさず毎日やってきたのでかなり久しぶりにやらない日が生まれたなぁと思います。
毎日やることが前提であることをやらない時は、一日の中で何回もやる機会を模索しているし、お酒に酔っていても寝る直前にやってないことを思い出します。
それでも、やらないと決めたことを自覚しておけばいいんだと思います。
そうなれば、できなかった自分を悲観することなく、やらなかった要因や原因にすぐに目が行くのだと今回のやらなかった体験を通して感じました。むしろ、やらなかった要因がはっきりと突きつけられるような気持ちでした。
大抵やらない日はイレギュラーがある日で、その場合、今までは代案を1つしか用意していませんでした。
しかし、イレギュラーにイレギュラーが重なった時に代案が1つしかなかった場合、対応できないのです。
いくつもの状況が起こりうることを想定した中で、やれるように先を見通しながら、その時その場の選択をしていくことが大切なのだと思います。
今までは平日の夜に飲み会がある日は飲み会の前にやることが多くありました。しかし、今回の場合それができなくなってしまった時に、代わりにできる代案が私の中に「帰宅した後にやる」しか持ち合わせていたいことに気が付きました。
結局、終電の電車の中でウトウトしていると最寄駅を過ぎてしまい、夜中1時過ぎから約5キロ歩いて帰りました。流石にその状況ではプリントをやらない選択をして、すぐに寝てしまっていました。
今回は、ちゃんとプリントをやれるぐらいの体力と気力を残して帰宅できるか分からないということが分かり、帰宅してやること以外の方策を考える必要があると気付きました。
朝にやってしまうか
→どうやれば朝にできるか
飲み会の前は一人の時間を作ってやるか
→どうすれば、時間を作れるか
やれるようにすることを考えることは、自分の生活全般を見直すことにも繋がるのだと気付きました。
できなかったことに目を向けることは、やらなかったことだということを自覚し、やれる環境にするための方策を見つけることになのかもしれないと思いました。
おわり。