2017.04.04 【379日連続投稿】
分からないをよしとする。
分からないをよしとすると、分かる方向に向かっていく。
分からないを楽天的に「良し」とするわけではなく、現状を受け入れると言う意味で「よし」とする。
分からない状態を「良し」とすることは、分からない状態への停滞や自分の中で分かった気でいるということだと思っている。
分からないを良しとすることは、分からないことを盲点にし、自分の中でやり繰りしてなんとか分かるを優先することであると言い換えることができるかもしれない。
また分からないを悪しと捉えることも同じようなことが起きる。悪しと思うと良しにしようと思うからである。
分からないをよしとするからこそ、分かる方向に向かうようになるのではないだろうか。分からないをよしとすると、むしろ「分かっていく以外の道はない」という感覚の方が近いかもしれない。
良し悪しで判断するのではなく、よしとすることがなかなか難しい。
大抵の人は、できる自分でありたいし分かっている自分でありたいと思っているのではないかと思うから。
分かっていない自分を受容することは、体験を経験を積めば積むほど難しいことになりかねない。
「一回やったことあるんだから」とか「そんなのできて当たり前」など思われると感じても、サッと隅に置いておこう。
分からないをよしとすれば、随分前に進んでいく気がしている。
おわり。