2017.04.19 【394日連続投稿】
ここ数日、『あなたの人生を変える対話術』(著:泉谷閑示)をもとに記事を書いています。
昨日書いた記事には、二人称関係(二項関係)は人との関わりから生じる苦悩から逃げいていることに繋がることを書きました。
本日のつれづれ no.393 〜相手は自分と同じだろうと妄想する罠〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ
今日は、苦悩から逃げなくていいんだよとう話でもあるし、そもそも人間は苦悩を持つような存在なのだという話を書きたいと思います。
そのキーワードとなる言葉が「孤独」です。
孤独が嫌だから、怖いからこそ自分と同じような相手を求めるのかもしれません。
孤独は、なんだか寂しい、悲しいという印象をどうしても抱きがちです。
大学生が学食で友達と一緒にワイワイしているグループが複数ある中一人で学食でご飯を食べている時、
飲み会で誰ともしゃべっていない時、
これらは「孤独」という言葉を連想しそうなシーンだなぁと思っていました。
私自身も「孤独」という言葉をなんとなくのニュアンスで捉えていたのですが、本書では、「孤独」と「孤立」は違うと書かれています。
孤独について言えば、孤独とぼくたちに与えられる万人へ通ずる分け前なんだ。(中略)ただ、孤独と孤立はちがう。(中略)一人でいるとは、自分であるということ以外のなにごとでもないんだ。他のどんなものになれるというんだろうか。誰もぼくの代わりに生きることはできないし、代わりに死ぬことも苦しむことも愛することもできやしない。これこそ、孤独といわれるものであり、存在しようとする努力の別の言い方にほかならないんだ。君の背負っている重荷をかついでくれる人はどこにもいない。(中略)
だから孤独とは、他人を拒否することじゃなくて他人を受け入れることであり、他人を他人として(自分の一部や道具や対象としてでなく)受け入れることなんだ。だからこそ、愛することは、ありのままの姿で見れば孤独なんだ。(中略)
愛は孤独の対極じゃない。愛とは、他人の孤独によって分かち合い、満たされ、照らしだされた ー そしてときに曇らせる ー 孤独なんだ。愛はつねに孤独なんだけれども、それはどんな孤独も愛をふくんでいるからではなく、それどころかあらゆる愛が孤独だからだ。ぼくの代わりに、ぼくのうちで、ぼくのように愛することは誰にもできやしない。自分の周りに、あるいは愛する対象の周りにあるこの砂漠こそが、愛そのものなんだ。
『愛の哲学、孤独の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィルより
どうやら先ほど書いた孤独のように思っていたシーンは、孤立のような気がします。
まさに私自身「孤独」と「孤立」が混同していました。
人は皆生まれながらにして孤独なのでしょう。
孤独を認識するから、愛が生まれるのでしょう。
孤独を認識することは、あなたが自分とは違う「他者」であり、私はあなたから見た「他者」であることを知ることなんだと思います。
他人同士が生きているんだから、ちょっとした意見のすれ違いなど取るに足らないのだし、人の目を気にしても結局全てを分かることはないのです。
お互いが異なるから、知りたい気持ちが生まれるし、関わりたい気持ちが生まれるのだと思います。
孤独は時に、辛いものになるかもしれません。しかし、孤独だからこそ、一層の喜びや幸せがあるのだと私は思っています。
だから、人との関わる苦悩はどうしても付き纏いますが、苦悩があるから愛があるんだと思いました。
おわり。