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名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.395 〜「聴く力」 茨木のり子〜

2017.04.20  【395日連続投稿】

 

ここ最近、『あなたの人生を変える対話術』という本をもとに記事を書いています。

 

今日は、著者の泉谷閑示さんが別に書かれた『「私」を生きるための言葉』から詩を引用したいと思います。

 

聴く力

 

ひとのこころの湖水

その深浅に

立ちどまり耳澄ます

ということがない

 

風の音に驚いたり

鳥の声に惚けたり

ひとり耳そばだてる

そんなしぐさからも遠ざかるばかり

 

小鳥の会話がわかったせいで

古い樹木の難儀を救い

きれいな娘の病気まで直した民話

「聴耳頭巾」を持っていた  うからやから

 

その末裔は我がことのみに無我夢中

舌ばかりほの赤くくると空転し

どう言いくるめようか

どう圧倒してやろうか

 

だが

どうして言葉たり得よう

他のものを  じっと

受けとめる力がなければ

茨木のり子  『詩集 寸誌』)

 

「他のものをじっと受けとめる力がなければ」

 

それは一体どんな力なのだろうか。

相手を受けとめるということは、容易いものではないと思う。

受けとめるということは、相手を認めつつ自分が自分であるということなんだと思う。

コミュニケーションで言うなれば、相手の話を聴きつつ、自分の考えはしっかりとあるということなのではないだろうか。

自分があるから、対話ができる。

自分がなければ、相手の言うことすべてが正しいと思い鵜呑みにしてしまうだろう。

そんなのは対話ではないと私は思う。

だから、聴く力がある人は自分の核となるものがある人なんだろう。

核となるものがない人は、相手の話を聴きすぎてしまうが故に、安心して聴くことはできない。

じっと受けとめる力は、自分という存在と他人という存在を自覚して生きるということなんだろうな。

 

おわり。