2017.04.29 【404日連続投稿】
昨日の記事に書いた『女子学生、渡辺京二に会いに行く』より、一生学んでいくということ、果てしない知の世界に触れ、今後どう歩んでいくかということを書かれている一説を紹介したいと思います。
読物つれづれ no.5 〜女子学生、渡辺京二に会いに行く〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ
ただ、あなた方はこの三砂ゼミで学んで卒論を書いたことを一生ずっと後まで背負っていく方々じゃないかと思う。もし研究ということに携わるのなら、非常にエネルギーを要することになります。膨大な本を読まねばなりません。あなた方が全員できるとは思っていません。すぐに好きな男ができて結婚しちゃて、もうそれだけでいいわという方もひょっとしたら出てくるかもしれません。女の人の言うことは当てにならない。僕は何番目かの恋人は、私は絶対結婚しないと言っていた。そしたら、一年ぐらいしたら結婚しちゃった。これはびっくりしたなあ。まあ自分自身もそういうふうに当てにならないものではありますけどね。
ですから、一生涯学問をやっていかれるとは限らないと思う。だけどここで知の世界、思想の世界、人類全体の問題というふうなことに出会われたのです。専門的にそういう学問をやっていかないとしても、仮に平凡な妻、母親になるとしても、一生本を読んでいきなさい。本を読むということは持続です。書くこともそうですが、持続です。
私はさっき言いましたように、10歳ぐらいのみぎりからずっと絶え間なしに書いてきたように思うんですが、これも持続です学問も持続です。だからずうっと本を読んでいきなさい。
あたしは平凡な社会人になったら学問とは縁がない、と思わないことです。普通の平凡な社会人でもちゃんとした読書人にはなれます。一生本を読みつづけることがだいじです。そして何かこういうことがやりたいな、研究しないなってことがあったら、一冊の本を書きなさい。書いてもいいんです。そのためにはあるテーマに関する文献、研究書を読み上げなきゃいけないでしょう。自分自身の見方というのが必要でしょう。でも私のような大学の教員になったことが一度もないような人間、民間でずうっとあくせく、あくせくして、綱渡りのようにして飯を食った人間にでもできることです、やる気さえあれば。
学者や研究者になるとか、あるいは変な意味での自己実現をするというじゃなしに一生何か模索していく。人間とはなんなのか、どうあればいいのか、社会というのはどうあればいいのか、一生模索していって、本を読んでいってテーマをつかんだら本を書くといい。
『論語に出てくる話だけど、孔子のかつてのお弟子に孔子が言いました。私なりに脚色して言うと、
私は先生のことをずっと尊敬しておりますが、先生がおっしゃった通りできなかったし、俗な生活をしているんですが、でも、先生に習って、また若い頃に考えたこt、習ったことは心の中で大事なこととして思っております」と。
こう言われたら、ほう、感心じゃと言うのが普通でしょう。でも孔子は、「汝中道にして廃せり」と言ったんですよ。おまえは道を求めることを途中でやめたと、突っ放したんです。実に厳しいですが、孔子というのは正しいと思います。孔子さんは偉大なる教育者ですね。
だから、どんな形であれ、自分が道を求めていくということをやめなければいいんです。
おわり。