名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.411 〜自然が美しいと思ったことより〜

2017.05.08  【413日連続投稿】

 

GWの時に沖縄に行ってきました。

 

車を少し走らせば海が見え、海に潜れば泳げない私でもまた潜ってみたいと思ってしまう美しい景色が

広がっていました。

 

一緒に沖縄を回った友人が「地球に生まれてきてよかったー!」と言っていましたが、まさにその通りだなぁと思います。

 

自然に触れ合うってことを日々の生活で忘れがちになってしまいますが、本当はとっても大切なことなんじゃないかと思っています。

 

読物つれづれでも、紹介した『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(著:渡辺京二×津田塾大学  三砂ゼミ)という本で、渡辺京二さんがこんなことを話されていました。

 

 リルケという詩人がいますが、彼は人間はなんのために存在しているんだろうと考えたのね。人間は一番罪深い存在だという見方も当然一面ではありますが、ごく自然に言って、人間はあらゆる意味で、進化の頂点に立っている。人間は神様が作ったものじゃない。ビックバンから始まった宇宙の進化が創り出したのが人間という存在である。

 ではなんのために、この全宇宙は、この世界という全存在は、人間というものを生み出したのであろうか。

 その時に彼は世界が美しいからじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めて欲しい、誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいたいために人間を作ったんだというふうに考えたんだねえ。これは科学的根拠なんか何もない話で、学問的に考えると、特に理系の人は、そんなのは自然の目的論的解釈で、非科学的な哲学だというわけだね。でも哲学でけっこうなんだ。これは哲学なんだから。人間は、この全宇宙、全自然存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さというものに感動する。人間がいなけりゃ、美しく咲いている花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか。だから、自然が自分自身を認識して感動するために、人間を創り出したんだ。

 そう思ったら、この世に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。全人間がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球の旅人としてごく僅かの間、何十年か滞在する。その間、毎年毎年花は咲いてくれる。これはすごいことでありまして、たとえばうちの庭の梅の花も、多少時期は何十日か遅れることがあっても、必ず約束したかのように、毎年毎年咲いてくれます。そういうふうに毎年毎年花を見る、毎年毎年、ああ、暑かった、ああ、寒かったと言って一年を送る、それだけ人間の存在意義はあるんです、この社会に出て行って、立派な社会貢献をしたり、あるいは自分の才能を持って名前を輝かしたりしなくても、ごく平凡な人間として一生を終わって、それで生まれてきたかいは十分にあるわけです。

 

おわり。