名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.456 〜『女子学生、渡辺京二に会いに行く』 -男と女-より〜

2017.06.28  【464日連続投稿】

 

『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(著:渡辺京二×津田塾大学三砂ちづるゼミ)という本で渡辺京二さんが「男と女」について、女子大生に対して話している一節から抜粋しました。

 

 さらに自分を幸せにすることは、男であれば女。女であれば男でございます。何人かの女性とめぐり会ってきましたけれど、女というのは歳をとるほどよくなるんですわ。ただ、僕も年取ってますから女のいやなところもいっぱい知ってますよ。あなたたちが怒らないように言っておきますが、男だっていやなところもいっぱいある。だけど、いやなところを持った女とはつきあわなけりゃいいんだ。自分の好きな女とだけつきあえばいいんだから、問題ないんです。

 だから、一人の男にとって女とめぐり会って、その女を味わう、味わうなんて言ってごめんね、だけど、これ、味わうわけだね(笑)。自分がつきあっている女を十分に味わっているかどうかが問題ですよ。

 女も同じ。男を十分に楽しむことよ。男は女を十分に楽しむ。楽しむということは、尊重するということだよ。尊重しないと楽しめないからね。だから男と女の間というのは無限の深さがあるの。それは浅くいこうと思ったらなんぼでも浅くいけるけど、深まると思ったらなんぼでも深まることができるの。だから言ってみると男にとって女というのは一緒の課題に値するの。自己実現なんて考えなくていいの。女を一生研究してそれでもう十分だ。だってそこに存在してるものだからね、女というのは、人類の半分だからね。僕にとって男はよくわかっているから、男はどうでもいいの。女は男と違うからね。一生かけてその魅力を味わうだけの値打ちがあるわけなんだね。女にとって男もそうだと思う。

 男は本当に女に惚れる。女はその愛情を受け入れる。女とういうのは自分に惚れなくていい、受け入れてくれるだけでいい、と僕は思っているんだ。女が男に惚れるという気持ちは僕はわからんのだな、これが。男みたいな汚いものになんで惚れるんだと僕は思うわけね。見ただけで汚いのに(笑)。だから女に求めるのは、愛するのを受け入れてくれればいいというだけのことなんだけどね。

 

長年人生を歩んできた人が発する言葉は、文字だけ見ると軽く浅いが、じつは重く深いのだろう。

 

その人が歩んだ人生が言葉として合わられているわけだから。

 

「女に求めるのは、愛するのを受け入れてくれればいいというだけ」ということに、愛を感じました。

 

おわり。