名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.462 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第1章-ある文明の幻影-②〜

2017.07.04  【470日連続投稿】

 

実際に、幕末〜明治初期の日本に訪れた外国人はどのような感想を持っていたのかということに少し触れたいと思います。

 

エドウィン・アーノルドは以下のように語る。

「私はこう言いたい。あなたがたの文明は隔離されたアジア的生活の落ち着いた雰囲気の中で育ってきた文明なのです。そしてその文明は、競い合う諸国家の衝突と騒動のただ中に住むわれわれに対して、命をよみがえらせるようなやすらぎと満足を授けてくれる美しい特質をはぐくんでたのです。」

 

またオールコックは以下のように語り、作者の見解がある。

「他方、かれらの知的かつ道徳的な業績は、過去三世紀にわたって西洋の文明国において達成されたものとくらべてみるならば、ひじょうに低い位置に置かなければならない。」

オールコックは幕末の日本を、十二世紀の西欧に相当するものとみなしていた。中世期から近世初期にかけて西欧においてそうであったように、幕末の日本では、精神的な安息と物質的な安楽は、ひとつの完成した充溢した生活様式の中で溶けあっていたのである。アーノルドのような讃美者はもとより、オールコックのような批判的観察者ですら感動に誘われたのは、そういう今は失われた日本の文明の特質に対してであった。

 

第1章では、まだまだ多くの外国人の書き残した文献から日本を見ることをしているが、比較的「日本に好印象を持っている傾向が強い」印象を受けました。

また、筆者は外国人の意見がステレオタイプであるかどうかということも吟味して展開しているからこそ、外国人の言葉がより一層価値あるものに見受けられるものになっている。

 

おわり。