名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.467 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第2章 -陽気な人々-③〜

2017.07.09  【475日連続投稿】

 

江戸時代の大人が子どものように無邪気だった様子が読み取れる一部を抜粋しました。

 

1870年から74年まで福井藩校や東京の大学南校で教師をしたグリフィスにとって、「成人して強壮な身体の日本人が、西洋人なら、女の子はエプロンをつけ男の子は巻き毛を刈る年になると、見向きもしないような娯楽に夢中になっている」のはおどろきだった。「この二世紀半の間、この国の主な仕事は遊びだったといってもよい」と彼は言う。「日本人のように遊び好きといってよいような国民の間では、子供特有の娯楽と大人になってからの娯楽の間に、境界線を引くのは必ずしも容易ではない」。もともと牧師志望で、帰国後わざわざ神学校に学んで牧師となったグリフィスは、こういう日本人の子どもっぽい遊び好きに好意的だったわけではない。だが、海軍将校・商人・ジャーナリストという多彩な経歴をもつブラックの眼には、羽根をついて顔を墨を塗り合っている日本の大人たちは、まことに愛するべきものに映った。「そこは、ただ喜びと容器があるばかり。笑いはいつも人を魅惑するが、こんな場合日本人の笑いは、他のどこで聞かれる笑い声よりもいいものだ。彼らは非常に情愛深く親切な性質で、そういった善良な人達は、自分ら同様、他人が遊びを楽しむのを見てもうれしがる」。

 『日本その日その日』の著者モースの言葉は、日本人の子どもらしい無邪気についての、さながら総括である。

 「私はこれらの優しい人々を見れば見る程、大きくなり過ぎた、気のいい、親切な、よく笑う子供達のことを思い出す。ある点で、日本人はあたかもわが国の子どもじみているように、子供らしい。ある種の類似は、まことに驚くばかりである。重い荷物を持ち上げたり、その他何にせよ力のいる仕事をする時、彼らはウンウンいい、そしていかにも『どうだい、大したことしているだろう!』というような調子の、大きな音をさせる」。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p87〜88

 

おわり。