名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.501 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第8章-裸体と性-①〜

2017.08.13  【510日連続投稿】

 

 幕末来日した西洋人を仰天させ、ひいては日本人の道徳的資質さえ疑わせるにいたった習俗に、公然たる裸体と混浴の習慣があったことは広く知られている。日本は、西洋では特殊な場所でしか見られない女の裸が、街頭で日常的に目にしうるという意味でも「楽園」だったのである。

 ペリー艦隊に通訳として同行したウィリアムズは、1854(安政元)年の下田での見聞をもとに次のように断定を下した。「私は見聞したい異教徒諸国の中では、この国が一番みだらかと思われた。体験したところから判断すると、慎しみを知らないといっても過言ではない。婦人たちは胸を隠そうとはしないし、歩くたびに大腿まで覗かせる、男は男で、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩き、その着装具合を別に気にもとめていない。裸体の姿は男女共に街頭に見られ、世間体なぞはおかましなしに、等しく混浴の銭湯へ通っている。みだらな身ぶりとか、春画とか、猥談などは、庶民の下劣な行為や想念の表現としてここでは日常茶飯事であり、胸を悪くさせるほど度を過している」。ウィリアムズは「この民族の暗愚で頽廃した心を啓示された真理の光が照らし得るよう、神に望み、かつ祈る」と日記に書くような、無邪気に傲慢な宣教師根性の持主だったから、日本の庶民のあけっぴろげな服装を、可能なかぎり歪曲して誤読したのは仕方ないところだった。だが、春画や混浴にこのピューリタンが嫌悪をおぼえたのはいくらか同情してよいだろう。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.296

 

おわり。