名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.505 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第8章-裸体と性-⑤〜

2017.08.18  【515日連続投稿】

 

 パンペリーにとっては「日本は矛盾に充ちた国」だった。なぜなら「婦女子の貞操観念が、他のどの国よりよろ高く、西欧のいくつかの国々より高い水準にあることは、かなり確かである」のに、自分たちの娘を公娼宿に売る親たちを見かけるし、それはかなりの範囲にわたっている」からである。しかし彼は同時に、このいとうべき公娼制度が「他国では欠けている和らいだ境遇を生み出す」ことも認めないではいられなかった。「犠牲者はいつも下層階級出身でm貧困のために売られる」のだが、「彼女たちは自分たちの身の上に何の責任もないので、西欧の不幸な女たちをどん底に引きずり込む汚辱が彼女たちにつきまとうことはない。これとは逆に、彼女たちは幼少期に年季を限って売られ、宿の主人は彼女たちに家庭教育を万般を教えるように義務づけられているため、彼女たちはしばしば自分たちの出身階級に嫁入りする」。

〜中略〜

 外国人たちがおどろいたのは、売春の悲惨さに対してではない。悲惨を伴うはずの、そして事実伴ってもいる売春が、あたかも人性の自然な帰結とでもいうかのように、社会の中で肯定的な位置を与えられていることに彼らはおどろいたのであった。むろん女郎買いは、当時の日本人の意識の中で、道徳的にまったく問題ないものとされていたわけではない。それが一種の悪と意識されていたのは、悪場所という言葉自体が示している。しかし彼らはその悪に、公然たる存在の場所を与えた。つまりこの国では裸体の場合と同様、売春という記号は西欧におけるのとは大いに異なった意味作用を含んでいたのである。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.324.329~330

 

おわり。