名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.518 〜渡辺京二『逝きし世のお面影』第10章-子どもの楽園-⑤〜

2017.08.31  【528日連続投稿】

 

 日本の親は子どもを放任しているのではなかった。子どもは小さいときから礼儀作法を仕込まれていたし、アンベールも証言しているように、親に最大の関心は子どもの教育だった。あまやかしや放任のようにみえたのは、これもアンベールの言うとおり、親が子どもの「玩具にも遊戯にも祭礼干渉しない」からだった。バードはいつも菓子を用意していて子どもたちに与えたが「彼らは、まず父か母の許しを得てからではないと、受け取るものは一人もいな」かった。許しを得るとにっこりと頭を下げ、他の子どもにも分けてやる。「堅苦しすぎるし、少しませている」とバードは感じた。しかし一方、「子どもたちが遊びの際に自分たちだけでやるように教えられているそのやりかた」に彼女は感心した。「家庭教師の一部は。いろいろなゲームの規則をならうことである。規則は絶対であり、疑問が生じた場合は、言い争ってゲームを中断するのではなく、年長の子供の裁定で解決する。彼らは自分たちだけで遊び、たえず大人を煩わせるようなことはしない」。つまり日本の子どもは自分たちだけの独立した世界をもち、大人はそれに干渉しなかったのである。だからこそモースは、日本の子どもが「他のいずれの国の子供達より多くの自由を持」っていると感じたのだ。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.396~397

 

おわり。