名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.529 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第12章-生類とコスモス-②〜

2017.09.11  【539日連続投稿】

 

 石川英輔によると、十九世紀の英国での馬車馬は、四年働ける馬は稀なほど酷使されていたという。彼は「私が十九世紀の馬なら、イギリスより日本に生まれたい」と書いている。ただし、明治十一年の北海道では、目を覆いたいほどの馬の虐待が行われていたことを補足しておかねば、話は不公平になるだろう。バードがそれを実見している。

 彼女が見たところでは、北海道の馬はみな背中にひどい傷を負っており、中には「手が入るような大きな穴」のあいているものがいた。

「粗末で腹帯もつけてない荷鞍と重い荷物」のせいでそうなるのだ。しかも彼らは「重い棒で目や耳を無慈悲に打たれる」。あるとき彼女は、日本人が馬を調教している光景を目撃した。その馬は人を乗せるのは初めてで、少しも癖の悪いところはなかった。それなのにその男は「残酷な拍車」で責めつけて全速力で走らせ、馬が疲れて立ちどまろうとすると乗り手はうまくとび降りて、馬が立てるようになると小舎へ曳いて行った。彼女は言う。「馬は調教されたといっても、実際は馬の心がめちゃくちゃにされたのであり、これから一生、役に立つまい」。こんな”調教”が、それまでの日本人の習慣になかったことはいうまでもあるまい。北海道の荒々しい新天地では、未知のなにものかが生まれつつあったのである。だからこの馬たちは、寄ると馬どうしで大乱闘を演じ、人間に対しても、たとえば浅瀬でわさと寝転んだり、「あらゆる種類のずるいことをする」。また

「山腹や海岸にいる馬の大群を見ると、いつもその中に入りたがる」。もともと彼らはそういう群れから捕虜されて来たのだった。明治三十年代に来日したポンティングは「日本では馬がしばしば虐待され酷使されている」と言っている。新しい時代は確実に日本全土を覆いつつあったのである。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.497〜498

 

おわり。