名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.537 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第13章-信仰と祭-③〜

2017.09.19  【547日連続投稿】

 

 スミス主教は仏教神道より陰鬱できびしい宗教だと感じた。なぜならそれは生を悲嘆から免れえぬものとみなしているからである。「一方、神道の信者は現世の出来ごとのより明るい側面に注目することを好む」。神道は祭礼を休日に変えてしまったと彼は言う。しかしそれは仏教においてもおなじことだった。教義の面において確かにスミスのいうような対照が認められはするものの、民衆の意識においては、寺も神社とおなじく、彼らの現世の人生に幸福とよろこびを与えるものだった。一八七六(明治九年)年、ギメは横浜の浅間神社を訪うたとき、「全て生気があり、明るく愛嬌がある」と感じた。「ここでは神々は恐れさせず、親しみがある」。しかし彼は天草寺を訪うたときにも、「すべての見世物に宗教が関係している」のを見て、「感じのよい、心安い、気難しくない、ギリシャ人の宗教に似ていて、煩わしくない、楽しむことを少しも妨げない宗教」だと、仏教のことを感じたのである。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.537

 

おわり。