名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.545 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第14章-心の垣根-③〜

2017.9.27  【555日連続投稿】

 

 その安息と神話の世界には、狂者さえ参入を許されていた。フォーチュンはディクソンら友人とともに鎌倉を訪ねたが、町中に入ると女が一人道路の真中に座りこみ、服を脱いで裸になって煙草を吸い始めた。明らかに気が違っているのだった。フォーチュンらが茶屋で休んでいると、彼女がまた現れて、つながれているフォーチュンらの馬に草や水を与え、両手を合わせて馬を拝んで何か祈りの言葉を呟いていた。彼女は善良そうで、子どもたちもおそれている風はなかった。フォーチュンたちはそれから大仏を見物し、茶屋へ帰って昼寝をしたが、フォーチュンが目ざめて隣室を見やると、さっきの狂女が、ぐっすり寝こんでいる一行の一人の枕許に坐って、うちわで煽いででやっていた。そしてときどき手を合わせて、祈りの言葉を呟くのだった。彼女はお茶を四杯とひとつかみの米を持って来て、フォーチュン一行に供えていた。「一行がみんな目をさまして彼女の動作を見つめているのに気づくと、彼女は静かに立ち上げって、われわれを一顧だにせず部屋を出て行った」。狂女は茶屋に出入り自由で、彼女のすることを咎める者は誰もいなかったのだ。当時の文明は「精神障害者」の人権を手厚く保護するような思想を考えつきはしなかった。しかし、障害者は無害であるかぎり、当然そこに在るべきものとして受け容れられ、人びとと混りあって生きてゆくことができたのである。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.562~563

 

おわり。