名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.555 〜阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』-人はなぜ人を差別するのか-①〜

2017.10.07  【565日連続投稿】

 

 すでに第5章でみたように、数多くの被差別民が成立するのが十三、四世紀以降でした。それは高位聖職者や家長などによって行われていたのです。

 そのころまで、それらの仕事が賤しいものだと、だれも考えてはいなかったように思われます。それがなぜ、十三、四世紀以降、賤しまれるようになったのでしょうか。この問いに答えるためには、差別する心の構造に目を向けなければならないでしょう。

 成績の優秀な人が、あまり出来ない人を軽んずることがあっても、それは差別であるかもしれませんが、賤視ではないでしょう。社長が平社員を軽んずるようなことがあっても、それは人間としての差別になるかもしれませんが、賤視とはいえないでしょう。

 賤視は第六章でお話ししたように、身分の上下のなかで起こる現象ではなく、それとは次元を異にする問題なのです。賤視というばあい、私は畏怖の感情が根底にあると考えています。ただ軽んずる心だけではなく、恐れという感情が屈折して賤視に転化してゆくだと思うのです。

 第五章であげたさまざまな職業をもう一度想い出してみますと、それらがおおまかにいって、死、彼岸、死者供養、生、エロス、豊饒、動物、大地、火、水などとかかわるものであることが解るでしょう。そして、これらのエレメントが、すべて大宇宙に属するものであることに注目する必要があります。

 

阿部謹也『自分のなかの歴史をよむ』p.163~164

 

おわり。