2017.10.23 【581日連続投稿】
近年、岸見さんが書かれた「嫌われる勇気」が火付け役となりアドラー心理学を知っている人が多くなってきていると思います。私も「嫌われる勇気」を読んで、一時期はアドラー心理学にどっぷりハマっていた時期がありました。「アドラー心理学があればほとんどの悩みは解決できるんじゃないか」とさえ以前は思っていたくらいです。それから、いろんな人の考えぬ触れ自分なりに考えたりする過程で、以前のアドラー心理学に対する熱さはなく、むしろ「理解が浅はかな場合は、自分や他人を辛くさせてしまう恐れもあるな」と思うくらいです。まぁ、アドラー心理学のみならずあらゆる考え方は使い方次第でそうなり得るものだと思います。
そのアドラー心理学でまず特徴的だと私が思っている「目的論」という考え方もやっと掴めてきました。
「目的論」自体は簡単に理解はできると思います。
例をあげると、あなたはカフェで店員がコーヒーを運んできてくれた際に、うっかり服にこぼしてしまった時、怒ってしまいました。この「怒る」というのは、あなたが相手を屈服させたいが為にとった行為である。という考え方。つい怒ってしまったのではなく、怒ることを自ら選んだと考えるのが目的論の特徴です。
以前は「そうなのか〜」と思っていた私ですが、今は目的論になにか違和感を感じていたのです。
それをすっきりさせてくれたのが、宮台真司『14歳からの社会学』の-「意思」はあるときふと「訪れる」もの-だったのです。
ちょっとこれを最後まで書くと、結構長くなってしまうなと思ったので、今日は前置きだけにして本編は明日に書こうと思います。
おわり。