2018.01.24 【673日連続投稿】
気を使って思っていることを言わないという現象がある。
その現象の中で私は、「気を使って言わないのは、偉い」と思う部分がある。
「偉い」というのは、優れたとか立派という意味であるが、私がここで言う「偉い」は皮肉だ。
気を使って言わないのは、「相手のことを見下している」「もしくは、自分の方が偉い」と思っていることがしばし気づかないうちに起こり得ているのではないかと思う。
ただ、すべての「気を使って言わないことが、偉い」ことではないと思っているということは押さえておきたい。
では、全てでないとしたらどう違うのか。
ということであるが、今回ポイントとなるのが、「気を使う理由」だ。
「これは今は忙しそうだから言っても伝わらないだろう」
「自分から気付いて欲しいから、言わないでおこう」
「これを言ったら、相手が傷つくかもしれないから言わないでおこう」
などなど、気を使うのも色々な理由がある。どれも気を使うに相応しいもののように思えるが、もっと奥深くの理由を見て言った時に、言いたいのにあれこれ理由とつけて言わないのは「自分が偉い」ということになると思う。
あれこれの理由として
「相手が傷つくかもしれない」は典型的な例だ。勝手に傷つくからと判断して、言わない。言いたいのに言わない。しかも相手に「これは傷つくかもしれないから言えない」などと言った時には、まさしく言った人の「偉さ」が滲み出ている。
それは、「言いたいけど、あなたが傷つくだろうから、私は言わないよ。なんて私は偉いんでしょう」と言っているようだ。
でも、「あなたが傷つくから」とうのは本当理由ではない。
実は気を使っている側が言うことで生じるリスク(関係性が悪くなったり、言い返されたりするなどなど)が恐れているからこその、「気を使う」という手段を取っているに他ならないと思う。
確かに、本当に「その人にとってシビアな話題は避けるべき」と言うものがあると思うが、気を使うことで起こる弊害もあると思う。そして、現代は気を使う弊害が大きくなっているように思う。
自分に厄介なことは回ってこないでくれと思っているカラなのかもしれないし、
これが気を使うということなんだと本気で思っているかもしれない。
でも、気を使って言わないのは、「なぜなんだろう?」と自分に問えば、自分を守っているのか、相手を守ろうとしているのか、見えてくる気がしました。
おわり。