名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.696 〜「労働」の併せ持つ二面性〜

2018.03.05  【711日連続投稿】

 

 ・・・したがって、労働の労苦と努力を完全に取り除くことは、ただ生物学的生命からその最も自然な快楽を奪うことになるだけではなく、特殊に人間的な生活からその活力と生命力そのものをも奪うことになる。苦痛と努力は、生命力そのものを別に損なうことなしに取り去ることのできる単なる症候ではない。これが人間の条件なのである。つまり、苦痛と努力は、むしろ、生命そのものが、生命を拘束している必要とともに、自ら感じとる様式である。だから死すべき人間にとって、「神々の安楽な生活」は、むしろ生なき生活であろう。

〈中略〉

・・・富者の生活では活力が失われ、自然の「よき物」にたいする密接な関係が失われる一方、逆に、世界の美しいものに対する洗練された感受性が得られる。このことはこれまでにもしばしば認められてきた。事実を言えば、世界における人間の生命力は、一方で、生命そのものの過程を超越して、そこから遠ざかろうとする能力を常に含んでいる。ところが、他方、活力と生命力は、人間が進んで生命の労苦と困難という重荷を自ら背負う限りでのみ保持できるのである。

 このように人間には、「労働」というものを軽視すべきものとして、なるべく避けようとする傾向と。逆に「労働」のよって生命の喜びが得られる傾向とがあり、この両者を併せ持つややこしいところがあるのです。

 「労働」というものが抱えるジレンマは、人間というものが、動物であり、かつ他の動物と決定的に異なり、文化を生み出し必要とする存在であるという、互いに相容れない二面性を併せ持つことからきているのだと考えられます。

 

泉谷閑示『仕事なんて生きがいにするな』p.70〜72

 

おわり。