名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.711 〜毎日書き続けて2年経ちました〜

2018.03.22  【731日連続投稿】(2016.03.22 起算)

 

2016年からブログを毎日書き続けて昨日でちょうど2年(735日)が経ちました。むしろ、経っていましたと表現した方が、私の気持ちに近いです。

 

毎日頑張って頑張って、何があっても絶対に書くんだ!!!

というような気持ちの持ちようではなく、その日に思ったことや残したいことを「毎日書く」とだけ決めて淡々と書いてきました。

 

このブログ自体、誰かに何かを伝えたいという目的で始めたわけでもなく、ただ毎日書いてみるとどうなっていくのかという気持ちと自分と繋がっていくツールとして始めました。

 

 やはり、書いていくと口で言葉にならないようなことが書き言葉として表現されていくことを感じることが多いです。悶々とある気持ちがきっかけとなり、自分が今何を思い、何を考えているのか、を日々残していくことで、自分がどうなりたいのかということが少しずつ分かってきている気がします。いきなり「これだ!!」というものに出会うことは私自身あまりなく、雲と掴むようにして、何か掴んだような気になることが変化の始まりだと思います。でも、何か掴んだ気がしただけで、実は何も分かっておらず、自分が何もわかってないんだということが分かり、進んでいないようで、進んでいたりする自分を日々みていくことが書いていることによって自分で分かるのかもしれません。

 

 最近、思ったのは誰かのためにかいてるんじゃなくて自分のためにかいてることがほとんどだなってことです。有難いことに結果的に、誰かのためになっていることがあるのかもしれません。実際、今日はこの人に向けて、こんなことを思っているだろう人へ向けて書くことがあります。しかし、それは決して対象の人のためじゃないんだってことを思っています。

 誰かに伝えるということに、価値があるのかは分かりません。

価値が生まれるのは、受け取った人が価値を決めるものだと思うので、自分が書くことが誰かの価値なるために書いてるわけではないってことになります。

今、思うのは書くという行為に価値は自分が付けることができます。

書く目的だとか、意義だとか、たいそうなものはありませんが、その日に書けることを書くということが私にとって大切なものになっているのは私にとっての価値だと思います。

毎日書くとうことは、毎日自分に問うことであり、それが私にとっての価値なんだと思います。

 

 ブログを毎日書くきっかけとなった寺子屋塾 代表の井上淳之典さんが、「毎日算数のらくだプリントをすることは南無阿弥陀仏であり祈りでもあるのです。」と以前ブログに書かれていましたが、その意味が少しわかってきました。

 

いつか毎日書くことができなくなる日が来ても、また書き始めるのでしょう。

 

という2年経った今の気持ちを書きました。

 

おわり。