2018.10.07 【928日連続投稿】
子どもは甘やかすと駄目になる、社会が弱肉強食のワイルドライフであるときに、そんな気楽なことを言う教師はかえって学生を損なっていると言う人もいます。むしろ、そういう意見の人の方が現代日本では多数派かもしれない。でも、ぼくは逆だと思う。母港のある船がいちばん遠くまで航海することができる。冒険の旅を事故なく終えることができるのは「帰ってくる場所」を持っている人間です。旅と冒険で成熟を果たした人々が、自分の成熟を確認できるのは、母港においてです。自分が何をしてきたのか、自分はどんな人間になったのかを知るためにはいつか母港に戻る必要があります。
〜中略〜
母港があり、困ったことがあれば、そこに戻ればいい。振りかえると毎晩灯台の灯が見える。そういう人は、自分が何をしているのか、どこに向かっているのか、正しく把握することができます。だから、安心して、どこまでも航海を続けられる。母港を持たない船は、自分がどこからどこに向かっているのか、わからなくなってしまう。自分を「成長の文脈」という海図の中に位置づけることができなくなってしまう。
教育というのは、力動的に構成されている。「困ったことがあったら、いつでもおいで」という支援の言葉を背中に受けた人は、そういう言葉を受けていない孤立した人よりも、人間的パフォーマンスが向上する。落ちたら死ぬという条件で綱渡りしている人よりも、落ちても「セーフティーネット」が張ってあると思って綱渡りしている人では、リラックスの程度が違う。リラックスしている人の方が運動精度は高い。「自分にはアジールがある」と思っている人ほど、アジールが要るような状況には陥らない。アジールというのは、そういう逆説的な制度なんです。
『ぼくの住まい論』著:内田樹