2018.11.02 【953日連続投稿】
他人を知ろうとするときに、
「この人は何者なのだろうか?」
という視点で見てしまうと、自分のフィルターであったり、自分の見聞きした情報を信じ込みすぎてしまう。
そして、結局他人を100%理解することはできないのだろう。
だったら、「この人はどう見られたいと思っている人なのか?」
という視点の方がその人を知ることになる。
どう見られたいかってのは、その人が接する人によって変わってくる。
色んな人と接していたり、その人の振る舞いで他人からどう見られたいかってのは大体分かる。
見られたいっていう気持ちは自然と生じてしまうものであるから、どう見られたいのかを知ることは、「他人が他者とどう繋がりたいのか」を知ることになる。
「この人の本質を知る」っていう抽象的なものより
「この人は他人とどう繋がりたいのか」を知る方が具体的。
だから、「どう見られたいかを知ること」は「本質を知ろうとする」よりもその人を知ることになるんだろうと思います。
おわり。