2019.05.23 【1154日連続投稿】
先日、寺子屋塾でハンナ・アレントについて話をする機会があった。
ハンナ・アレントという名前は聞いたことがあったが、彼女は人間の意志の問題に関する哲学者である。
彼女が人間の意志と向き合うきっかけとなったのは、ホロコーストの中心人とされたアイヒマンの存在であった。
収容所行きの列車の最終許可を出す役目を担っていたアイヒマンは、世界中から悪の塊とみなされていたが、アレントが法廷で見たアイヒマンはどこにでもいそうなおじさんだった。
ただ唯一の特徴は「何も考えていない」「消極的な姿勢」であったという。
要は、考えないからこそその仕組みや制度が絶対的だと思い、従事する。
その内容が、善だろうがあくだろうが。
最近、個人的に思うことは浮き上がった事象の対応でうわべだけを話すのではなく、そもそもの前提を共有し話し合うことがいかに不足しているかということである。
それは、起きたことにただ反応しているだけであり、ある枠組みの中で慣行・風習に従って限られた選択の中から選ぶという行為に思える。
うわべについての意見の是非を問うている暇があるなら、考える時間を取ろうと思う。
おわり。