名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.108 〜「人の役に立ちたい」の根本にあるもの〜

2016.05.27  【67日連続投稿】

今日は、この記事から思ったことを綴っていこうと思います。
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そもそも「人の役に立ちたい」「役に立つ職業につきたい」というのが根本的に気持ち悪い。「人より上に立ちたい」という欲求の別の表現に過ぎないし。
この言葉が胸にグサリと刺さっています。

普段働いていると、

真面目な人ほどそう考えちゃうように思える。

僕は結構自分のことばっかり考えてるな。

「自分から何かしてるかな?」
「自分から何か生み出せてるかな?」

相手がどう思うかを考えても、そんなに気にすることじゃないと気がついて

相手にとっては自分がどうなのかは考えてないな。

相手からどんな返しがあっても、最終的には前を向けて生きていけると思うし。

幸せになる勇気でも似たような話が出てきたな。

教師になるのも、自分がこどもの救世主となることで自分が救われようとしているから。

相手の役に立つことで自分の満たされない欲求を満たす。

そんな気持ち悪さが自分にもあるんじゃないかと何回も問いかけた。

教師を目指した最初の動機はそうかもしれないけど、

教師でなくてもいいという時期を経て、教師をやってるわけだけど

ほぼ自己成長の為にやってる気分。

また、やりたいからというか

自分なら続けてできそうと思ったから。

全く役に立ちたい気持ちで働き始めたわけじゃないな。

むしろ、こんな僕を雇って頂いてありがとうございますって気分だ。

子どもからも毎日いろんな気づきや喜びをくれてありがとうって気分だ。

もし、「役に立つ」という言葉を用いて表現するなら

僕は役に立たさせている。

そんな感じかな。

役に立てなくて、申し訳ないと思うれども。

「自分だめだな〜」って思うってことは

自分は本来役に立てる人だ。

と思い込んでいるってことだな。

そう言い換えると、

「自分はなんておこがましいんだ」と思う。

カスで上等。

もともと人間は自分一人だと生きることさえできない存在。

働き始めて人とお話しする時に

「障害がある子どもと接すているなんて凄いですね。自分にはできないです」

なんて言われることがある。

毎回違和感を感じる。

何が凄いのかよく分からない。

一般的に貴い仕事なのか?知らないけど、違和感がある。

もちろん、「人の役に立つこと」は素敵なことだと思う。

でもね、そう思っちゃうと

「役に立たないこと」という概念が生まれちゃう。

役に立たないことは、役に立たないことでしかないのに。

何だか役に立たない=悪いこと

みたいな世間体がある。

役に立つで人生選らんでると、

役に立てない自分を認められない。

この人は役に立てる人かどうかで判断してしまう。

何だかいろんなことが繋がって、よく分からない文章になってる気がする。

でもね、役に立てたかどうかは相手が決めることだし、

そこに気を囚われるとしんどそうだなって思いました。

おわり。