2016.08.30 【161日連続投稿】
ベリーオーディナリーピープルという映画をみました。
北海道浦河町にある「べてるの家」という統合失調症などの精神障害がある方のコミュニティのドキュメンタリーです。
共同生活しながら、働くこともできます。
全国から精神障害があることでの悩みを抱えられた方がべてるの家に来られていました。
べてるの家の本を読んだことがあったので、少しはどんな雰囲気かイメージがありました。
全員が自分らしく居られる。
強制されない。
安心安全の場。
こんなイメージがありました。
しかし、なんと明るくて笑いがある場なんだ!!とイメージとのギャップにやられてしまいました。
自己紹介でいきなり歌う人に合わせて、手拍子で盛り上げたり、自分の苦しい過去を冗談にしたり、家族の団欒の中にいるようでした。
でも観続けていくと、ただ単に明るいって訳じゃないとも思った。
食事中にカメラが回っていて、寝ている人がいる。
でも、みんなそっとしておいたり、人の話にガヤとか入れるんだけど、それに愛を感じたりした。
べてるの家を設立した向谷地さんからこの場を以下のように表現していた。
「場の豊かさ」
「どんな種がまかれても、それなりの実がなる。黒土みたい。そんな場。」
それは、べてるの家には明るさもあるけど、もっと奥深くの底に安心安全なんて言葉で表せられないほどの何かがある。メンバー(利用者さん)が自分で自分を好きになれたり、過去に誇りを持とうとする何かがある。
妊娠中の女性のメンバーが自分を好きになれたことについて語っていた。
「治す。変える。枠にはめる。という発想がない。」
「自分は変わってないのに、変わっている自分がいる。」
障害があることで、人との隔たりをつくられていたのかもしれない。なんの隔たりのないべてるの家は、自分が異常と思わない。問題があることも苦労や悩みがあることが当たり前。むしろ、それらによって支えられているようにも思われていそうと感じた。
そして、もっと心に残った言葉。
「弱いことは素晴らしい」
今の自分だから分かる言葉かもしれないと思った。
自分の人生経験にも関わってくるけれども、インタビューゲームで最も深く繋がってる感覚を持つ時って、「お互いの弱さを見せられて、受け入れられた時」だと思っているから。これができた人とは、かなり仲が良い。それは、決してお互いの傷を舐めあっているような次元の話じゃない。取り繕うことなく、裸の自分をさらけ出し合えた時、「弱いことが素晴らしい」と思えるのかもしれないと感じた。
次回は、誰かを「映画行こう」と誘って連れて行きたいなと思っている。
おわり。