名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.272 〜シェアハウスに住んで1年つれづれ〜

2016.12.04  【258日連続投稿】

 

2016年12月1日でシェアハウスに住み始め、1年が経ちました。

 

僕より3つ年上の男3人の人生の先輩と住んで、ラッキーだなぁといつも思います。

 

どんなことがラッキーなのか?

 

コストの面はもちろんのことですが、それ以上に普段誰と過ごすかということが、自分の在り方や精神的な面に大きく関わっているんだろうと思います。

 

約4年間一人暮らしをして、身の回りのことは大抵できるようになりました。その後に、シェアハウスで誰かと一緒に住むということは僕を自立に向かわせてくれたと振り返ると思います。

 

僕は、自立と聞くと「一人で生きていける」イメージを持っていましたが、今はシェアハウスを通じて自立は「補い合えることが参加できること」なんじゃないかと思います。「補えることに参加できること」というのは、自分の得意なことであれば、自分以外の範囲までやったり、できないことは助けを求められることだとだと思っています。

 

基本、引きこもり気質といいますか、一人でいることが好きな僕は、一人でできることが増えた次は他者といかに折り合いをつけて生きていくか?ということを学んでいく時期に入る気がしています。僕の場合は偶然その機会に恵まれたと思っています。一人暮らしの時は家から一歩も出ない時がしばしばありましたが、シェアハウスに住んでからはほとんどありません。誰かが家にいて生活圏内にいることで僕も誰かと関わるように生きようとしているのかもしれません。

 

そんなシェアハウス「サムハプ」は友達以上に存在で家族に近い存在だと僕は思っています。第2の実家のような空間です。基本、何でも話すし何か話せば自分にはない価値観を必ず知れるような場です。

 

お互いのちょっと気にかかる部分も受け入れながら、生活を共にすることで自分の受け入れる器の大きさや相手と折り合いをつけることを日々続けると、結局は自分を知ることになります。こういう時自分は嫌だなと感じるんだなとか。周りは嫌と言ってるけど、自分は大して嫌じゃないなとか。そんなことを知ることになりますが、結局はそんな状況で自分がどうするかだけなんだと思います。お願いするとか自分でやってしまうとかいくらでも折り合いをつけるための手段はあります。どれだけ自分ごとにするというか、場に参加するというか、主体的に生きるか。。。ということをシェアハウス「サムハプ」では感じます。自分の人生を生きている人たちが住んでいるからこそ、自分も自分でいいんだと思えて、周りに合わせるというより自分らしくいる中で生きようと思うんだと感じます。

 

今日は、1周年記念として名古屋市星が丘にあるCOHALで4人揃って優雅な時間を過ごしました。

 

とても幸せな気分です。

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シェアハウスメンバー太地くんもシェアハウスについて綴っています。

暮らしをシェアする、ということ。no.394 - 安永太地の学び舎

 

 

おわり。