2016.12.28 【282日連続投稿】
相手に怒りや否定的な感情を抱く時は、相手を下見ている自分がいると思います。
相手に怒りや否定的な感情を抱くことは、自分の思い通りにいかないから湧く感情なのかもしれません。
ちゃんと相手の想いを知ろうとする姿勢で居続けることができるのであれば、怒りや否定的な感情が自分を支配することはないのだろう。
結局、誰も悪くない。
怒った人はその人の正義があり、怒りの先にある相手にも正義がある。
いや、正義という大義名分を得て振りかざしている時もあるかもしれないから、やっぱり相手の立場に立とうことすることは忘れちゃいけない気がします。
そして、一番肝心なのが、自分の怒りを感じきることだろと思います。怒りが怒りで終わるのではなく、怒りは自己理解のきっかけなんだと思う。怒りは、自分の大切なことや固執していることに繋がっていると思っている。どうでもいいことには怒りはしないから。
怒りを抑えるのではなく、怒りに寄り添う。
寄り添い続けるといつか怒り以外の側面が見えてくる。
その面は、自分では見たくないほど嫌いな自分だったり、恥ずかしい自分だったりする時があるけれども、それも自分なんだと知れる機会があるだけでも貴重な機会だんだと思います。
そうやって感じきって自分を見つめた結果残ったものは、ちゃんと相手に伝える価値がある情報なのかもしれない。自分の思い込みや都合ができるだけ排除された純粋な事実として、相手に伝える価値はあると思うようになりました。「自分も悪かったし、まぁいっか」で済ませると、自分に溜まる。濁った何かが溜まっていく気がする。ちゃんと自分の中で、事実として捉えられていると思うのなら、言ってみてもいい。「言わなくてもいっか」「言いたくない」には、それが自分の間違いかもしれないことを思っているからかもしれない。でも、それが大切なんだろう。100正しいなんてないのだから、間違いかもしれないけど言ってみることは、相手の立場に立ちやすいし、自分の立場に囚われないと思うからです。
怒っていいし。
怒ることは、良くないことと思うと苦しい。
怒るのは、大人じゃないと思われても、大人である前に人である。
怒らないように抑える人よりも、怒りと上手く付き合える人の方が大人だと思いました。
おわり。