2017.01.24 【309日連続投稿】
今日は、久しぶりに生徒との関係で考えさせられることがありました。
いつもはそんなに関わらない自閉症の傾向がある生徒がいる授業に補欠で入りました。
いつも側から見ているその子は、授業中に席を外れて怒ったりすることがしばしばありました。
普段は、その子が所属している学年の先生が対応されていますが、この授業には他学年の先生しかいませんでした。
授業が始まる時、僕はその子に側にいました。その子は前向きな態度で挨拶したり体調を報告できたりしていて、僕は「いい感じだなぁ」と思っていました。
少し授業が進んだところで一人の生徒が遅れて参加してきた時に、僕がその子に何も声をかけずに離れていって、自然の流れで、他の先生がその子の側につきました。
それが良くなかったのか、それからその子は授業に集中できず怒り続けてしまいました。
対応する先生が代わったりしてもなかなか落ち着きませんでした。
僕も、側につきました落ち着かなかったです。話しかければ怒られる。
視野に入れば怒られる。
あまりにも、大きな声が出ていたのでその子の学年の先生が他の教室から対応に来てくださった時は一時は落ち着きましたが、その先生が離れるとまた怒ってしまいました。
「どうしたらいいんだろう?」
「何がきっかけだったのか?」
「怒りを通して何を伝えようとしているのか?」
こんなことが頭から離れませんでした。
最初は僕が付いていたのに、気づいたら他の先生に代わっていたからなのか?
そもそも、普段はその授業に入っていない僕がいたからなのか?
よく分かりません。
授業に入られてた他の先生に伺っても、決定的な要因は分からないと言われてました。
分からないことだらけで、普段接していないとこんなにも分からないのかと痛感させられ、接する時に見えない分厚い壁を感じました。
接している最中は、僕の頭は真っ白で思考停止していました。僕は怒りを収めようと躍起になって、僕の同じくらいもしくは僕以上の大きな生徒だったので、暴れないように手と体を押さえておくことに必死でした。
授業が終わって、落ち着いた時に「教師の関わり次第で、子どもの態度は変わるんだよなぁ」と思いました。その子は何をされるのが嫌なのか、どう関わることが好ましいのか、知る必要があるんだなぁと思いました。
おそらく、その子の学年先生方にはこの子にはこうやって接するのが◯というのがあるのだろう。
その子にとっての◯な接し方は理論とリアルが重なって生まれるものなのだと思います。
理論を人にはめるほど、単純ではなく実際接したからこそ、上手く言葉にできないようなものも含めて考えられているんだろうなと思いました。
今日の経験を大切にしたいと思います。
結構書いていると、今日生徒との関係が上手くいかなかったことに頭が囚われていたけど、過去のことを囚われるくらいなら今やれることをやれよって気付きました。
おわり。