2017.02.21 【337日連続投稿】
約11ヶ月働いて気付いたことがあります。
それは、自分が自由にできる範囲を知ることが大切だと言うことです。
私は、特別支援学校で講師の職に就いています。正規職員でないので、もちろん自分が何か大きな物事を決めることはほとんどなく、指示や指導して頂いたことをしっかりやることの方が圧倒的に多いです。
その中で11ヶ月働けば少しは身についてきていることもあり、周りに合わすことを大切にする部分と自分の裁量で自由にできる部分が見えてくるようになってきました。
その区切りがはっきりと今日は分かった気がしました。あくまでも、分かった気がしました。
生徒が帰るときは、毎日バタバタです。
私は大抵いつもある一人の生徒の着替えを担当しており着替えが済んだ時には、その子のクラスのみんなはもう教室からいないって状況になっていることが多々あります。
以前はその状況になると「この子だけ遅くなってしまった。まずいな。急がなきゃいけない。」と言う気持ちになっていました。
しかし、一緒に着替えて帰る生徒の迎えは遅いため結局、待ってしまうならこの時間にしっかり着替えることに関して一つでも自分でできるように時間を割きたいです。焦っていると、その生徒が少し時間がかかってもできることを私がやってしまうことが多くあります。
今日も同じ局面になりましたが、ここは明らかに自分が自由に決めてやっていいと思えたのです。だから、いつもより丁寧にその生徒と関わることができたと思います。
大学生の時は大きな構想や妄想をよくしていましたが、今は 置かれた環境でできることを見つけることを大切にしているのだと感じています。
小さなことを大切にせず大きなことをしても、一体何がそこにはあるの?
と過去の自分に言ってあげたいです。
そして、ここで言う自由は制限があるからこそ存在するものだと思います。やりたいことをやることが自由というより、思い込みや制限を自分の中で外そうとして生まれたもののような感じです。
制限や制約は縛られている。
自由は開放的である。
こんなイメージを抱きがちであるが、自分の自由の範囲を知ると心は縛られた感じはない。
むしろ、開放的であることの束縛ってのもあるんじゃないかな?
制限と自由の範囲の輪郭・分かれ目を認識しておくことが大切なのかもしれないなと思いました。
おわり。