2017.02.27 【343日連続投稿】
「できる」や「分かる」が学びのゴールであるならば、「できる」や「分かる」を目的とした教える行為は、教える立場の人が教えられる立場の人をゴールまで連れて行ってあげることだと思います。
「できる」や「分かる」を目的としない教える行為は、そもそも「できる」「分かる」を学びのゴールとして据えていないのだろうと思います。
「できない」「分からない」からこそ自ら学ぼうとするのだと思います。
そこには、「できないんだからできるようにならなければならない」といったことも存在しないし、「分からないことがいけないこと」という考えも存在しないのではないでしょうか。
その中である1つの問いの答えが自分が分ったりした時に、学びの面白さを実感するのだと思います。そして、また新たな問い浮かぶのだろうと思います。
「できる」「分かる」をゴールにしてしまうとその先はないそうに感じます。できたら学ばなくていいし、分ったら学ばなくていいのです。
月曜日ってのは、土日に色んなものを取り込むことがあると、職場での自分の感じ方や捉え方が変わる気がしました。
おわり。