2017.04.13 【388日連続投稿】
ここ最近、ブログについて再検討をしております。
2015年8月11日からアメブロで開始し、2016年1月よりはてなブログに移行して、「毎日書く」ということを決めています。
2016年3月22日から現在に至っては、毎日書くことが続いており、書くことから様々な気づきをもらっています。
多くの記事が、「これを書こう!」という気持ちで書くのではなく、書きながら気付いていくことを書くことをしている感覚です。
書いている記事の主なカテゴリーとしては、以下の3つです。
・本日のつれづれ
→その日の気づき等を書き留める。
・インタビューゲーム日記
→インタビューゲームを行なった振り返りの記録として。
・読物つれづれ
→ざっくりいうと読書記録。
私が書いている記事は、圧倒的に「本日のつれづれ」のカテゴリーに属しています。
当初は、その日の気付きを掘り下げることを意識していたのだと思っていますが、時には日記のようになったり、ただただ思ったことを書き留めただになった記事もあります。
過去に続かない経験を何回もしている中で、書く内容を自分でハードルを上げて書けなくしているということに気付き、「何でもいいから毎日書くこと」を決めてやってきました。振り返ると「何でもいい」としたからこそ、毎日書けたのだと思います。時には、「今日は書きたいことがありません。」と書いたこともありました。
今までは自分の思考を単純に文字に起こす。
想いやその時の感情を書き残す。
自分の感情を感じ切る。
何でもいいから書くことは、このような役割も果たしていたのではないかと思います。
約一年前には、そんなことを書くのはいいけど、わざわざFacebookに投稿するのはどうなんだろうと思ったこともありました。
本日のつれづれ no.67 〜自分のブログの在り方を再検討〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ
FBに投稿することで、周りの人からの視線を気にする自分がいたり、自分の承認欲みたいなものがあるんじゃないかと思ったりしていました。
しかし、1ヶ月FBに投稿しなかった期間の間で、「書いたことは結局人に見てもらいたい」と思うようになりました。見てもらう人がいないと余計に自分寄りの表現といいますか、独りよがりの文章になっている ような気もしていました。
FBへの投稿を再開してから内容にはあまり他人を登場させないといいますか、自分の中で起きていることを書くことを意識して書きました。
結局、自分の想いばかり書いていても毎日同じようなことばかり書いたりしていて、「堂々巡りしてるなぁ、自分」と思うことがしばしばありました。週に1度通っている寺子屋塾での繋がりの方が書かれているブログを読むと、「結局、自分の中で起きていることの背景や過程が書かれていないと独りよがりの文章になってしまうのではないだろうか」と思うようになりました。
今回、再検討しようと思ったのは「いきなり自分の気持ちをずら〜と書いていくのでなく、そう思った背景や過程を書くことが必要なのではないかと思うようになってきたからです。背景や過程を書くことでより一層自分を客観的に観ることにもなるとともに、独りよがりのものではなくなるのではないかと思います。伝えたい気持ちもありますが、もっと自分の気持ちを自分が知ってできるだけ気持ちを表現したいのだと思います。表現するなら、伝わるものがいいとも思っているのかもしれませんが。
また、仕事の中身については書かない方向性でやってきたいと思っています。なぜなら、自分が背景や過程を書こうと思ったら、どうしても周りの人を登場させたりしなければならないことが多いと思い、それは名前などを出さなくても受け取る人によってNGだったりするかもしれないと思ったからです。
とは言っても、いきなり変える自信はなく、背景や過程をぶっ飛ばしたことを書いたりするかもしれません。(背景や過程をぶっ飛ばしてしまう可能性があるからこそ、今の仕事のことはあまり書かないようにします。)
今までは「本当に何を書いてもいい」という状態でしたが、今後は「何を書いてもいいけど、背景や過程を書こう」と思います。
少しでも変化を楽しみながら、書いていこうと思います。
これからも、、毎日書くは変わらず続けていくので、読んでくださる方はこれからもよろしくお願い致します。
おわり。