名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.393 〜相手は自分と同じだろうと妄想する罠〜

2017.04.18  【393日連続投稿】

 

昨日の記事で登場した「二人称関係(二項関係)」の続きについて『あなたの人生を変える対話術』(泉谷閑示)を元に書きたいと思います。

 

本日のつれづれ no.392 〜複数人数いると話しにくいのは?〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

昨日の部分だけ読むと、二人称関係ってお互いが仲良くていいじゃないと思う節もあるかもしれません。確かに、多くを言わずともお互いの気持ちが何となくわかってくれたり、安心して接することができる人がいることは助けになると思います。

 

しかし、二人称関係でいるってことは、こんな一面もあるようです。

 私は、「二項関係」は、一人称-三人称関係が本質的に持っている苦悩的要素からの逃避を意味している、と考えている。二人称関係においては可能的に最大限のものが既知のものに還元される。(中略)たとえ人間関係から起こって来ることでも、思いがけないこと、非常に困ったことは、天災的なものと見做される傾向がある。(中略)それを甘受して、それが過ぎ去るのを待つということになる。(中略)人間的矛盾に対する時に起る「苦悩」(ANGOISSE)がそこには欠如している。

 しかるに「二項方式」の内部では凡てが一変する。お互いに相手は自分にとって二人称であり、「汝」であり、しかもそれが「私的な」関係であるということから、そこには「恋」あるいは「慰安」(CONFORT)と「苦悩(ANGOISSE)ちの絶え間のない交替が始まる。(中略)しかし本当は自己も相手もいつでも一人称になり、相手にとっては三人称になる可能性を保持している。また現実にそれは起こって来る。そこから「安心」は「不安」へ、「慰安は「苦悩」へと変貌する。

森有正森有正全集 第12巻』

 

 この文章を読んで、二人称関係(二項関係)とは、人と接する上で傷つくことを恐れているため自分の守りに入っている関係性とでも言い換えることができると思いました。

 

 そして、二人称関係で安心安全だと思っていても、人と人が接することでありますから、自分と違うことが許せなかったり、相手に裏切られたと感じてしまうのも二人称関係だからこそ起きるのだろうと思います。

 

どれほど仲が良い友人でも変わってゆくし、自分も変わってゆくのだから、私と異なる相手と接しているということを、いつも心に留めておくことが大切なのだろうと思います。ついつい近しい人と接する時ほど忘れがちになる時がありますがね。

 

そもそも自分が思っているんだから、相手も同じようなことを思っているとはかぎらないってことを知ることからだと思いました。そんなことを妄想するから、人と接することが怖くなったりするのかもしれません。

 

おわり。