2017.05.11 【416日連続投稿】
昨日の記事にも書きましたが、現在は私の人生で最も積ん読している状況ではないかと思っています。
ということで、ブログを書くために読む作戦を決行してはどうかと思ったので、少しずつでも毎日本を読むことを決めたいと思います。
今日は、ちょうど今週の週末の5月13日(土)にインタビューゲーム会を行います。
それに当たって、インタビューゲームをやるきっかけにもなった寺子屋塾の井上さんがインタビューゲームに関する推薦図書を揃えてきていることもあり、その中の1冊から今日は書きたいと思います。
伝えたいという気持ち
私たち言語の教育に関わる者は、子どもの表現力をつけるという名目のもと、スピーチだ、ディベートだといういろいろな試みうぃ行ってきた。その一つ一つには、それぞれ意味があり、価値があったのだろう。
しかし、そういった「伝える技術」をどれだけ教え込もうとしたところで、「伝えたい」という気持ちが子どもの側にないなら、その技術は定着していかない。では、その「伝えたい」という気持ちはどこから来るのだろう。私は、それは、「伝わらない」という経験からしか来ないのではないかと思う。
いまの子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に不足しているのだ。現行のコミュニケーション教育の問題も、おそらくここに集約される。この問題意識を前提とせずに、しゃかりきになって「表現だ!」「コミュニケーションだ!」と叫んだところで意味はない。
では、どうすればいいのだろうか?
子どもたちを千尋の谷に落とせと言っているわけではない。
おそらく、一番いいのは体験教育だ。障害者施設や高齢者施設を訪問したり、ボランティアやインターンシップ制度を充実させる。あるいは、外国人とコミュニケーションをとる機会を格段に増やしていく。とにかく、自分と価値観やライフスタイルの違う「他者」と接触する機会を、シャワーを浴びるように増やしていかなければならない。
ただこれには、予算や人員制約がある。セキュリティの問題もあって、なかなか子どもたちを簡単に学校の外に出すことはできない。
ここに、演劇、あるいは演劇的な授業の大きな役割がある。
演劇は、常に他者を演じることができる。
実際の体験教育ほどの効果はないかもしれないが、異文化、他者への接触をフィクションの力を借りてシミュレート(疑似体験)することができる。
『わかりあえないことから-コミュニケーション能力とは何か-』(著:平田オリザ)
おわり。