2017.06.06 【442日連続投稿】
私の中の沈黙にある言葉には、話し言葉にはできない時が多くあります。
沈黙も言葉ってことは、話していなくても人は少なからず何かしら思っていたり考えてたりしてるってことなんじゃないかと思います。
だからと言って、すぐに誰かに伝えたり言葉を自分から発することができるかといったらなかなかできないことが多くあるってことを毎日ブログに書くことを通じて感じています。
そんな時に誰かの言葉を借りるってのは、自分の枠を広げることになるんじゃないかと最近は思います。
一人で考えていても、思い耽っていてもなかなか堂々巡りを繰り返してしまうことも結構あります。
例えば、本から得られる言葉っていうのは自分の沈黙の言葉が上手いこと言い表せられていることがあります。
他人の話し言葉には触れることで、自分の沈黙の言葉が話し言葉へ浮かび上がってくる感覚になります。
最初は、他人の言葉をパクってるじゃんと思ってしまっていましたが、言葉が誰かのものなんてことは誰も決めていないし、自分の見栄やプライド勝手に決めちゃってるもんなんだろうなぁと思います。
誰かの言葉に枠を広げられながら、私が発信した言葉から誰かの枠が広がっているかもしれないと思うと、何だか言葉の世界も果てしないです。
毎日書くってことは、毎日枠を広げようとしていることでもあるんだと思いました。
おわり。