名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.470 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第3章 -簡素とゆたかさ-②〜

2017.07.12  【478日連続投稿】

 

 江戸時代は、幕府が各藩に重い税をかけていたイメージがあります。小学生で習う参勤交代も「藩の財源を削るため」と習った気がします。そのような中での、人々の暮らしは天領(幕府管轄の土地)と藩領とでは金銭面での大きな違いがあったそうです。しかし、その中でも藩領の人々は幸福に暮らしていたという部分を抜粋しました。

 

 鉱山技師として幕府から招かれ、1862年から翌年にかけて北海道の鉱床調査を行なったハンペリーは、第二回踏査旅行の際幕領から津軽藩領へ入って、住民の状態の違いに愕然とせざるをえなかった。「わたしは津軽藩領地の住民たちに比べ、幕府直轄地の住民たちの境遇がはるかに豊かであることに衝撃を受けた。われわれが通りかかっている地方では、収入源に対し、不相応な重税が課せられているとのことで、村々は後輩の様相が窺われ、住民たちには浪費の気配があった。両者の違いは、地理上の境界線のように画然と引かれていた。原因は自然ではありえない。なぜなら、双方にとって唯一の収入源である海は、両者に差別なく恵みをあたえているはずだから」。

 パンペリーは根本的理由を「大君制」に求める。つまり、参勤交代を初めとする幕府の諸候に対する窮乏化政策が、このような違いを生んだのだと考える。その当否は、いまはあげつらうまい。また、収奪をゆるやかにして領民の幸福を実質的に保障した幕府が慢性の財政難に陥り、領民の収奪を強めて富強化した西南諸藩によって打倒された歴史の皮肉についても、いまは問うまい。私たちはただ、このような幕領と大名領の違いを踏まえながら、パンペリーが「日本の幕府は専横的封建主義の最たるものと呼ぶことができる。しかし同時に、かつて他のどんな国民も日本人ほど、封建的専横的な政府の下で幸福に生活し繁栄したところはないだろう」という、まさにオールコック的な概括を下していることに注目しておこう。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』 p.107.108

 

おわり。