名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.472 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第3章-簡素とゆたかさ-④〜

2017.07.14  【480日連続投稿】

 

 彼(モース)は1877年、日光を訪ねた帰りに通った栃木県の寒村についてこう書いている。「人びとは最下層に属し、粗野な顔をして、子供はおそろしく不潔で、家屋は貧弱であったが、然し彼らの顔には、我国の大都市の貧民窟で見受けるような、野獣性も悪性も、また憔悴そた絶望の表情も見えなかった」。ある一人の女など、食事中のモース一行の横に座りこみ「我々が何か口に入れるごとに、歯をむき出しにしてニタリニタリと笑ったり、大声を立てて笑ったりした」。つまり彼女はたしかに野卑ではあったが、あっけらかんと陽気だったのである。

 彼は『日本の住まい』で、この知見をさらに一般化して繰り返す。「都市にあっては、富裕階級の居住する区域は、わがアメリカにおけるほどには明確なる一線を画していない。・・・ほとんどの都市において普通に見られることは、もっとも貧困な階層の居住する区域に近接して富裕階級の邸宅が建っている、という事実である。東京では、極端に粗末な小屋が櫛比して立ち並んだ町通りや横町があり、そこにはもっとも貧困な階層に属するひとびとが住んでいる。・・・しかしながら、このような貧民区域であっても、キリスト教圏のほとんどすべての大都市に見られる同類の貧民区域の、あの言いようのない不潔さと惨めさと比較するならば、まだしも清浄なほうである。これは確かなことだが、日本の金持ちは、貧困階級を遠方に追いはらってしまうために、自分の邸宅の周辺にある土地を残らず買収しようなどは、ふつうは思わないのである。貧困階級が近くに居住したところで、いっこうに苦にならないのである。実際に、日本の貧困層というのは、アメリカの貧困層が有するあの救いようのない野卑な風俗習慣を持たない」。「「あるタイプの家屋がそこの住人の貧困および無気力に封じこめられた生活状態を象徴し、また、あるタイプの家屋うがそこの住人の向上意欲および豊かさ溢れる生活状態を象徴している、とする識別方法」は、日本の家屋にはあてはまらない。日本にも立派な家屋敷はあるが、それは何百軒に一軒で、そのほかは雨露を凌ぐだけという家々が立ち並んでいる。しかし「そのような小屋まがいの家に居住している人々は根っから貧乏らしいのだが、活気もあって結構楽しく暮らしているみたいである」。つまり、「少なくとも日本においては、貧困と人家の密集地域が、つねに野卑と不潔と犯罪とを誘発するとは限らないのである。

 モースは、日本における貧しさが、当時に欧米における貧困といちじるしく様相を異にしていることに、深く印象づけられたのだった。日本には「貧乏人は存在するが、貧困なるものには存在しない」というチェンバレンの言明もモースとおなじことを述べている。つまり、日本では貧は惨めな非人間形態をとらない、あるいは、日本では貧は人間らしい満ちたりた生活と両立と彼は言っているのだ。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.126.127

 

おわり。